日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

2月21日(日) 春に近づく

予報通り、ぐんぐん気温は上がり、予想通り、花粉はどかんと放出されたようだ。朝から顔面が痒くてたまらない。マスクと擦れて痛痒い。ざぶざぶ洗ってしまいたい。

朝礼のあと、100均用の文庫の仕分け。150冊くらい入る箱で200箱近く買わせていただき、去年から定期的に文庫まつりを開いてきたけれど、まだ数十箱はあるようだ(太閤堂が管理する倉庫に散在していて、わたしは全貌がわからない)。今日開けたのは「は」と「た」と「あ」の箱だった。

仕分けをしている脇を、楽しげなお喋りの声が次々通り過ぎる。イベントは中止、飲食店も20時で閉まるけれど、春は近づいているんだ。コロナなんて我関せず、梅の花は満開に向かっている。

 

金曜土曜は打ち合わせで暮れた。イベントと、新スペースと、継続的に取り組んでいくプロジェクトと。昨年冬頃から準備していた事々が、巡りに巡って、見事に同じタイミングで動くことになってしまった。時間も気持ちもしんどいけれど、それもまた、春らしくていいのかもしれない。

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ロボット掃除機くん、2週間のお試し期間中

2月18日(木) 連勤、胃腸が壊れる

火曜水曜と、ちゃんと休めないまま、徒然舎的な週初めである木曜を迎えたこともあって、今ひとつ気合が入らない。そしてとにかく雪がすごい。こんなにしっかり降って積もるなんて思っていなかった。身体も芯まで冷える。

 

火曜は名古屋で月に一度の、運営を担当する市場だった。15時過ぎに運営自体は終わるのだけれど、そこから事務所でなんだかんだとおしゃべりするのが最近の流れ。以前ならファミレスに行ったり夕飯食べながらなんてこともできたけれど、このご時世なので、ひたすらペットボトルのお茶だけで、マスクをして、換気で寒い事務所でなんとなくずっと話している。

前日の東京での大市のこと、家賃のこと、古書会館トイレの自動水栓化のこと、仕事のやり方のこと、イベント出店のお誘い、などなど。取り留めなく、でも今ここで古本屋仲間としか話せないことを、話し続けてしまう。話したいことは次々浮かんできてしまう。

また来月ね、と手を振って帰る。帰路に寄ったマクドナルドは、緊急事態宣言下で外食し損ねたテイクアウト勢で渋滞していた。ヤッキーセットを貪りながら帰る。

 

水曜、1か月ちょっと古書フェアに本を置かせていただいていた愛知の正文館書店知立八ツ田店さんに撤収へ。会期中、補充に来られたのが一度だけだったこともあり、撤収が楽だぞ、と思えるくらいには本が減っていた気がする。30分もかからずに撤収を終えた後、30分以上店内を見てまわり、本を何冊も買う。

急げば間に合うね、と、近くのラーメンチェーンへ。オーダーストップ19時半のまちで暮らしてひと月以上。19時15分終業の仕事をしていては外食も叶わず、とにかくジャンクなラーメンが食べたくて仕方なかった。ギリギリで滑り込み、つけ麺を猛烈な勢いで食べてしまったら、早食いと、油と、塩分と、疲れのせいで胃腸が一気にやられてしまった。来週は人間ドックなのに。

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今日この雪では、この寒さでは、さすがに開店休業だろうねえ、と言いながら開けた店には、それでもご近所の常連さんだけでもなくご来店があり、とにかくありがたかった。道中、いったん暖を取る場所として立ち寄ってくださったのだとしても、嬉しい。

夕方、ずっとお世話になっているデザイナーiくんが来店してくれて打ち合わせ。新スペースのロゴデザインや挨拶状の用紙の件など。間違いなく忙しいはずなので、お願いするのも気が引けてしまうのだけれど、徒然舎がこのまちで息を始めた頃からお願いしているデザイナーさんなので、芯となるデザインはどうしても彼にお願いしたい。

先のことも見えないまま「脱落サラリーマン」となり、誰も知り合いなどいないまちにボンヤリと店を構えた日から10年弱。気づけばこうして仕事をお願いできる人、信頼してお任せできる人たちに、きちんと出会えてきたのだな、これって本当に奇跡的なことだよな、と、この節目にまたしみじみ思えている。

2月15日(月) 6万円もらって眠りたい日もある

土曜の夜、東北地方での強い地震をテレビで見ていた後からちょっと元気が出ない。ちょうど気圧もぐっと下がっているようなので、それも影響しているとは思う。それにしても、身体と心の芯に力が入らない感じで、お客様やスタッフの何気ない一言や仕草がドスドス胸に刺さったりしてしまう。

土曜はあまり眠れなかった分、昨夜は珍しく湯舟の中で眠りこけてしまいそうになり慌てて湯から上がって倒れ込むように寝た。今日は少しは力も戻って、歩いて市役所にも行った(4度目にしてようやく書類を提出し終えた)。帰り道、居酒屋さんが毎日売るようになったお弁当を買う。

 

少しずつずれているはずだったことが、結局同じ時期に固まってきてしまい、3月に向けてやるべきことが文字通り山積してしまうことになった。同時に走っていることに、事務的なタスクが多すぎて、こなすこと自体もさることながら、何か抜け落ちてしまっているんじゃないかという怖さが常に有る。3月のスケジュールは大変なことになりそうだけれど、楽しい春を、笑顔の4月を迎えるために、やり切っていくしかない。

 

明日は月に一度の千中会。運営を担当する、業者市の日だ。太閤堂はキャラバンに出品本を満載して昼過ぎに名古屋へ向かった。閉店時間までに戻ってくることはなく、少し残業してから歩いて帰ることにする。

20時を過ぎたばかりというのに町はとにかく暗く、人影もなく、寂しくて少し怖かった。強くなってきた風に、どこかのお店の営業自粛の張り紙が飛ばされてきた。1日6万円もらえるけれど休まなければならないのと、もらえないけれど営業していい自分の状況と、どちらがいいんだろう、と、時々考えてしまう。

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2月13日(土) 「忙しい」古本屋

暖かさに誘われ、入れ替わり立ち替わりご来店くださるお客様の波。とにかく嬉しい。胸がいっぱいになる。けれどその一方で、レジを打ちながら、心の端で、早く本を値付けしないと!棚に並べないと!という焦りがどんどん膨らんでいく。

レジを打ち、紙袋に詰め、またレジを打ち、お問合せに答え、持ち込まれた本を査定し、拭いて検品して値段をつけ、値札用のエクセルに打ち込む、レジを打つ。13時半から17時までだけの店番だったけれど、慌ただしさと焦る気持ちで心臓がバクバクしてしまい、交代したらどっと疲れてしまった。

せっかく古本屋だというのに、マイペースで店番したり、じっくりと本に向き合ったりできないなんて(ぜんぜん羨ましくない)…と、言われるのかもなあ、と、こんな時によく思う。とはいえこれがわたしの選んだ「まちの古本屋」としての楽しさだし、幸せなのだから、気持ちが揺らぐことは無いけれど。

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夜、東北地方を中心に大きな地震。当然、10 年前を思い出す。

2月12日(金) 「今日もコロナか」

寒さが緩んできていることははっきりしているけれど、曇天は憂鬱だ。持ち上がりきらない気持ちのまま、市役所に歩いていく。今日で3度目だけれど、また書類の出し直しになる。ささやかな金額とはいえ、もらえる補助金はもらいたい。でもそのせいで、この日々の中に事務が積み重なることになり、気持ち的につらいこともある。

先日ラジオで、芸人のダイアン津田が「朝起きたときに、あぁ、今日もコロナかぁ、ってなんねん」と言っていた。毎晩のように芸人仲間と飲んでいたのに、それが一切できなくなってしまい、ストレスも溜まるばかりだし、なんだか気が塞いでしまうわ、と。

朝、目が覚めたら、コロナなんて無い世界だったら、どんなに嬉しいだろう!…でもそんな夢想は、一段と気分が塞ぐだろうから、思考を止めた方がいい。いま自分が10歳若かったら、なんてのと同じような、虚しい仮定。

暗い言葉しか並ばないニュースサイトはそこそこで切り上げて、目の前のこと、ほんの少し先のことだけを考えるようにしている。その点、やるべきことだらけなのは助かっているのかもしれない。今日の仕事、明日やるべきこと、ちょっと先に入った予定。その繰り返し。それが健全なのかどうかはわからないけれど、そうやって気持ちを守るしかない。

 

東隣でずっと工事をしていた店舗が、今日が仕上げらしく、ドアや壁を塗る塗料のにおいが漂ってくる。若い人たちが頑張っている美殿町で一緒に頑張ろうと思って、と、若い男性が鍼灸院を開かれるそう。まちが動いている、新しいことが芽生えているという心強さ。光。

同じ業者さんに工事をお願いしている、うちの工事も、ようやく動き出してもらえるだろうか。すごく楽しみだけれど、緊張もしてきている。開店して10年。初めて、工事らしい工事をお願いして、それらしいお金を使う(一般的な店舗工事と比べれば驚くほど低い金額です)。

こんな時期に、不安は尽きない。ただ、このまちに、本を好きで徒然舎に足を運んでくださる方の心に、いま、少しでも、明るい光が灯せるように。

ちょうど10年くらい前、あの震災の後に店を開けた時と同じ気持ちになっていることに、気づいた。

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2月11日(木) 本が「生きている」棚

朝、テレビ番組の様子がおかしいので気づいた太閤堂に言われるまで、今日が祝日だということをすっかり失念していた。町の遠くに音楽が聞こえる。そうか、紀元節。(古本屋になって戦前戦中の本を自然に手に取るようになってから、そんな言葉も非日常でなくなった)

木曜は定休日明け。いつものように事務と通販の発送を優先して、と思っていたら、開店と同時に次々とご来店があり、わちゃわちゃしてしまう。買取の持ち込みやご相談も続く。休日で、かつ春が近づいてきているのを感じる。

17時閉店を19時閉店に戻したものの、遅めの時間にはほぼご来店はない。それでもきっと春になれば、と信じ、店番スタッフに値札をどんどん貼ってもらう。

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川島さんはずっと行列。今週末はバレンタインだもんな

 

先日、「こぢんまりとした店。ちょっと寄るにはいい感じ」というクチコミがあったことが地味にきいていて、時々思い出しては小さく傷つく。面積も広くなく、天井までびっしり本で埋まっているわけでもなく、ちょっと立ち寄った印象としては、本の量も少なくて見どころのない店と思われてしまうのだろう。店の小ささ、棚の少なさは、開店以来ずっと、コンプレックスに近い感情として心に引っ掛かっているのは事実で。それを、本の回転、入れ替えで補っているつもりだけれど、定期的に通えるお客様でない限り、そうした楽しみ方はしていただけないだろうことも解ってはいる。

ただ、ぎっしりと本で埋め尽くされた、いわゆる「古本屋らしい」棚、「映える」棚を作りたいとは思わないのも正直な気持ち。棚の隅々まで手と意識が行き渡っていて、店にあるすべての本が「生きて」いて、つい手に取ってしまいたくなるような棚が、わたしにとっての理想だからだ。

より高価な本を、より珍しい本を、という志向も、わたしには無い。「ふつうの本」でも、読まれるべき本はたくさんあるし、読みたいと思われている本もたくさんある。本と、その本を求める読者をいかに出会わせるか、読みたいと思っている人の目にいかに留めてもらうか。そのために本を選び、その目を意識して棚に並べてゆくことに、わたしは一番関心があるのかもしれない。

数年間忘れ去られたまま背が焼け埃がシミになってしまった、という本を、店の中で作ってしまいたくないと思うと、今の店の広さ、棚の量が限界くらいかな、と思う。最近は、本を棚に加えていくスピードより、お客様の手に渡ってゆくスピードのほうが早く、とてもありがたく思う一方、もっとがんばらないと、という焦りもある。

わたしは毎日棚を見て、倉庫の本を思い出して、新たに買い取ったり市場で買った本も見ながら、次に並べる本を選んで、値段をつける。その本を棚に差しながら、しばらく売れていない本を抜いたり、時には全体を並べ直す。少し手を入れると、ずっと売れていなかった本が急に売れていくのは、よくあること。眠っていた本が目を覚まして生き生きと光りだし、お客様の目に留まったのだなあと嬉しくなる。

そんな小さな物語が日々起きる「生きた」棚を、明日もせっせと作ろうと思う。そんな毎日を、10年続けてきた。

2月4日(木) 「文学のためにできること」

つい先日、偶然当店に通販の注文をしてくださった、大学時代の先輩から再度注文をいただく。

華やかでもなく真面目でもなく清貧だったわけでもない学生生活だったけれど、振り返ると一番学生らしいバカな思い出を一緒につくれた仲間たちと共に時間を過ごした先輩。斜に構えているけれど純粋で、そんなところをみんなが弄ったりしていて、でもとにかく研究にまっすぐで熱かった先輩。文学研究というものがなんなのか最後まで掴みきれず、目の前の人生のことばかり考えてしまったわたしは、挫折したり勘違いしたりして遠回りしながら、今ようやく古本屋の仕事に辿り着いたのだけれど、先輩は大学教授になっていた。

お久しぶりです、というメールに驚きつつも、今の研究対象の面白さを語ってくださったお返事を読んで、すっかり文学研究なんてものから遠ざかってしまっていたわたしは恐縮しつつも、どこか懐かしく、嬉しくなっていた。その関連なら、こんな作家のものも古書でよく扱いますよ、古本屋になってからたくさん作家を知れて面白いんですよ、とお返事すると、わたしが学生時代にチマチマとHTMLを打ってつくっていたホームページの名前を挙げて「ずっと、『文学のためにできること』をやってるってことですね」と書いてくださった。

自分は、本を売り買いすることを生業にしていることを、本を読み書く研究者や、純粋に本を愛し楽しむ読者の方々よりも、卑しいのではないか、と、心のどこかで思ってしまっているところがある。商売は二の次で、店には自分の好きな本を並べて読み漁る、昔気質の古本屋さんのことを羨ましく思っている節もある。なので、研究者として大成している先輩を前に、どこか卑屈になりかけている古書店経営者としての自分に気づいていたのだけれど。古本屋という仕事は『文学のためにできること』なのだと、そういう目で捉えてもらえたのだということが、胸に沁みた。自分もすっかり忘れてしまっていた、よくみんなに弄られたホームページの名前なんて、覚えていてもらえて。

自分は文学が好きだけれど、無知で非力な自分は、文学のために何かできることはあるんだろうか? そう思って、学生の頃にできたことは、文学関連のニュースを新聞からスクラップして手で入力してまとめたホームページを作ることだったけれど、それが今は、古本屋という仕事、だったんだ。

まだまだ自分の知識は恥ずかしいくらいに浅い。でも、これまでよりは少しだけ胸を張って、文学部文化学科国文学専攻を卒業したんですよ、と言えるようになれたかも知れない。ありがとう、先輩。これからも、がんばります。

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