日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

1月22日(金) 本の顔

火曜日が市場だったため定休日と合わせて2日分溜まってしまった発送やら事務やらに追われるうち、昨日は終わった。スタッフも皆それぞれにバタバタしていたけれど、通販商品の発送を終え、頬を紅潮させながらお菓子を食べてひと休みしているスタッフたちは楽しそうで、みんないい顔をしていた。そういう瞬間が嬉しい。

 

なんとなく雨に降られ続けた今日は、静かな一日。気持ちのスイッチもしっかり入らなくて、不動産屋のサイトをぼんやり見たりしてしまう(スタッフが初めての一人暮らしの家探しをしている)。物件情報は楽しい。そこから始まる未来をあれこれ想像してしまう。

買取から戻った太閤堂と一緒に、夕方まで外倉庫へ。倉庫には電気が通っていないので完全に外で作業をするが、あまり寒くない。大寒だけれど、寒さの底は過ぎたのだろうか。

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梅林公園の梅も咲き始めていた

 

倉庫に眠り続けてきた箱を開けては仕分けをする。なぜこんなものを後生大事に保管していたのか!というような反古に呆れたり、思いがけず貴重なものに改めて出会ったり(なぜこんな良いものを保管したままにしていたのか!という思いになる)しながら。

買取先で縛ったり箱に詰めたままだったりする本の束には名前も日付もついていない。倉庫の中で散在してしまっていることも多い。けれどその本の束を見ていると、あ、これはあの日にお買取したあの方の本だな、とわかってくる。新刊のときは同じようだった本の顔が、年月の中で、彼らが住んでいた家の顔になっていくので、同じ部屋にいた本は兄弟のように似た顔をしている。

 

1月18日(月) 苦しい心の片隅に

昨日は、体調不良の影がちらつき、とにかく怖くなって早々に床に就いた。がんばれ免疫力。祈るような気持ちで眠り、起きる。よかった、元気だ。

定休日前の月曜は、特にスタッフが忙しい。開店から昼下がりまで、わたしが店番に入る。

先日に続き今日も本を売りにきてくれた若者が、仕事を離れて実家に帰ることにしたんです、と話してくれた。去年の店舗休業期間中に、素敵な絵と「貴店の大ファン」との言葉を添えて応援ハガキを送ってくださったお客様からの寒中見舞いには、どん底から這い上がっているところです、と書かれていた。

それでなくても生きていたら苦しいときは必ずあるというのに、このコロナの世の中は、さらにわたしたちを苦しめる。軋み、分断があちこちで起き、すべての人がストレスに晒され続ける。

苦しさを目の当たりにして、なにか、自分にできることはないだろうか、と、反射的に考えてしまい、ずっと考え続けてしまう。でも、結局、徒然舎を開け続けることしか、できることなんてないんだ。

苦しい心の片隅に置いておいてもらえる店でありたい。棚に並ぶ本を眺めれば心が落ち着き、本の楽しさを思い出してもらえる店でありたい。まちに根を張り、まちに朗らかに開き、本に惹かれる人たちに頼られる、大きく深い存在でありたい。ずっとそう思ってきて、そのためにがんばってきた、けれどまだまだ足りない。コロナの今だからこそ、もっと強い意志をもちたい。もっともっと、いい店にしたい。

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1月16日(土) でも補助金は清く使われるべき

目と目の周りの痒み、目の周りの荒れと腫れがどうにもならなくなって、朝から眼科へ行く。先日行った皮膚科兼内科の「最前線」ぶりを目にしてから、アレルギーごときで病院にかかっては申し訳ないような気持ちで、じっとしていたのだけれど、そうだ眼科なら、と思ったのと、酷くなるばかりの痒みと皮膚に心が荒んでしまい、もうだめだ、と思い切って受診した。WEB予約をしていたこともあり思っていたよりはスムーズに受診でき、各種薬も処方してもらえた。さっそく目の周りに軟膏をぐりぐり塗り、テカテカさせながら店に戻る。

小雨のせいもあるだろう、でも、やっぱり緊急事態宣言というのは大きい。土曜とは思えない静かな町に、店を開ける。

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スタッフが休憩を取るために1時間だけ店番を交代したときに、それは起きた。突然、見知らぬ人達が現れ、動画を撮られ、インタビューを受けさせられた。細かなことを書いていると、なんとも言えない憤りと嫌悪感が蘇ってしまうので省くが、「柳ヶ瀬が」「県の事業で」と言われ名刺を出されたら、いつもお世話になっている方々のお知り合いかもしれない、それなら突然のことでも協力しないと申し訳ない、と思ってしまった、そんな弱みを突いてくるように、ぐいぐいと押し切られてしまった。数分で彼らが立ち去ったあと、まちの知り合いの方々に彼らのことを聞くが、誰一人として知らない、交流はない、と。「ここって何の店ですか?」と言っていたような、うちの店になんの興味もない人たちが、「県からお金が出ている」という事業のために、アポも下調べもなく、商店街で動画を撮っている。そんなことのダシにされたことが、だんだん、悔しくて悔しくてたまらなくなり、耐えきれず、彼らを追いかけた。「どこでどのように使うのかもきちんと説明がないし、インタビューがあるなんて聞いていないのにカメラを回されたし、他にどんなお店が出るのか説明もないし、うちにとってプラスとは思えないので、動画は掲載しないでほしい」言っている途中で彼は手をクロスさせ、あ、カットですねカットしますんで、と軽く言った。

強引な男性に押し切られてしまう感じ、というのも嫌だった。店を始めて以来、何度もしてきた嫌な思いだった。小さな店を始めたばかりの、今より10歳若かった女性店主は、(無意識的にでも)高圧的に振る舞いたい男性の餌食になることがしばしばあった。そこから少しずつ対処法を学び、なるべく相手を怒らせず、かといって自分は絶対に折れないやり過ごし方を会得してきたはずだけれど、まだ、駄目か。

自分自身に落胆し、自己嫌悪に陥りそうになっていたところ、「店長、今日は厄日ですねー」と笑いながら言うスタッフの声で、我に返った。「ほんとムカつく!」と言うと、みんな「店長ムカついてる!」と笑ってくれて、なんか、それでいいや、と思った。ムカついたり自己嫌悪したりしている時間が、今はもう、もったいない。

1月15日(金)

店の営業時間を17時までに短縮する、というのは、わたしにとってはある程度思い切った決断だったのだけれど、世の中はこうしたお知らせにもう慣れているからか、良くも悪くも反応はあまりなく、淡々と短縮営業の二日間は終わった。

気温が10度以上であることはこんなに嬉しいのか!そして強くなってきた日光の頼もしさよ!半屋外の倉庫作業への気持ちも前向く。倉庫は今月中にいったんカラにして、来月から解体工事をしてもらう予定。ほんとうは昨年内に終わっているはずだったのだけど。全然予定通りにはいかない、けど、それもまた「今」らしい気がするので、あまり焦らない。旧店舗をオープンした2011年4月も、コンパネが東北の仮設住宅用に流れてしまっていて本棚が作れない、と言われたものだったな。

世間に目を向ければ、暗い話題しかない日々。スタッフが戯れ合う笑い声が、ありがたい。

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1月13日(水) 今を最善にするしかない

もちろんわかってはいたことだし取り乱しはしないけれど、ねえ、と思いながら、市長の防災無線を今日も聞く。外国人向けの部分が、前よりゆっくりと聞き取りやすく話されていた。

店にいったん寄ってショップカードと買取案内チラシを持ち、知立へ向かう。

久しぶりに見る正文館書店知立八ツ田店さん近くの風景に、昨年5月、緊急事態宣言中に搬入に来た日のことをまた思い出した。不要不急でない仕事が入り、県境を越えられたときの気持ちは、感動に近かった。まさかまた、そんな日々が待っているとはな。

平日昼下がりの正文館書店さんは、いつもどおりにお客様がいるように思えた。ご挨拶のあと、あじさい堂さんが並べ終えられている隣の机に本を並べ始める。すっかり感覚が鈍ってしまっていて、なかなかレイアウトが決まらない。苦戦しつつも、持ってきた本はすべて並べられたが、見た目も、持ってきた本も、大丈夫かな…売れるのかな…という気持ちに後ろ髪を引かれて、手直しし続けてしまう。この心配性は、1日に何十万円と売れるイベントを経験してもまったく治まらなくて、イベントが始まって1冊売れるまでは、ずっと胃が痛い。

帰路の夕陽がとてもきれいだった。テントから、こんな夕陽を眺めたいな、早くキャンプに行きたいな、そんな世の中になってほしいな、と思った。

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家、ついて行ってイイですか?を、なんとなしに見ているうち、どんどん引き込まれていってしまい、歌舞伎好きのマダムが12日間だけの「夫」と病室で撮った一枚だけの写真で、堪らなくなった。共感しすぎないよう途中から身構えて見た、くつしたさん。多額の養育費を払い続ける笑顔のタクシー運転手さん。市井に暮らす人々が、それぞれに歩んできた人生の深さ。

何もかも思い通りになんて、いくわけないよな。諦めたことも、傷ついたことも、たくさんあったけど、今を最善にしていくしかない。やっぱりそう思って、また自分に言い聞かせた。

 

一日中ニュースと対峙しながらずっと考えて、明日からのことを決めた。

1月10日(日) 瞼の上では春

今週に入り、いきなりやってきた。

花粉。

鼻は少しぐずぐずするくらいなのだが、今回はとにかく目にくる。痒くて、涙が出て、目の周りがかぶれる。目薬をさすと目の痒みは収まるものの、目薬で濡れると肌のかぶれはますますひどくなる。

寝ている間に無意識で掻いてしまっているのか、目脂にかぶれるのか、起きると目の上下が腫れぼったくて、視界が少し遮られているような感じ。保冷剤で冷やして、腫れが引くのを待つしかない。そうしている間も、痒い。

アレルギー薬はもらってあるし、例年のように気軽にかかりつけの病院にも行けない。年末に蕁麻疹で受診した際、いつも陽気な先生が、防護服にゴーグルとマスク姿で完全防備していて、申し訳なくなってしまった。

わたしの身体は、確実に春が近づいてきているのを教えてくれている。春になれば、暖かくなれば、少しは世界も明るくなるんじゃないか。その微かな希望の接近を知れているんだから、と、メイクではない地雷の目元に耐える。

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学生スタッフがいる日なので手を借りながら、来週搬入の正文館書店 知立八ツ田店さんでのフェア準備大詰め。去年もこの時期に置いていただいたけれど、そういえば前回のフェアは、5月。店舗休業中に急遽声をかけていただいてのものだった。店に並べるはずだった新入荷本を積んで、緊急事態宣言下で初めて県境を越えたのだったな。あのときの有難さ、温かさは、忘れることはないだろう。

 

第3波の渦中にある今、そんな日々にも慣れてきたとはいえ、拭い去れない不安が常にあり、じわじわと続くストレスがある。それはもちろんわたしだけではなく、スタッフも皆そうだろうし、さらにそれぞれの事情も抱えている。

元気がなかったり、刺々しかったり、逆に躁状態のような時もあるスタッフたち。なんとかしてあげたいけれど、しきれないことも多い。母ではないので全ては背負えないけれど、親のような責任は感じる。子供を育てたことはないけれど、試行錯誤し、時にひどく傷ついて、でもそれ以上の嬉しさがあって、教えながら教えられて、人を育てる難しさを感じる日々。でも、そこからは逃げないと決めている。

1月9日(土) 「ご来店お待ちしています」

出かけようと思ったら防災無線が始まり、「外出自粛を徹底してください」と市長の声。しかたないけれど、理解してはいるけれど、今から「ご来店お待ちしています」とツイートしていいのかな、と、心が絡まりながら出勤。外国語での防災無線が続いている。

朝から新倉庫をめぐり一騒動。モヤモヤする点はありつつも、一歩前に進んだことを良しとする。今月中にいったん空っぽにして、2月の2週間くらいで基本の工事は終えましょう、と打ち合わせる。夏頃に動き始めたプロジェクトが、ようやく形になりはじめる。

それにしても新倉庫にはまだ電気も何もないので物凄く寒い。本の整理を進めなければならないけれど、ほぼ屋外なので、とにかく寒い。先日買ったモンベルの冬山登山用の靴下が頼もしい。キャンプ用に揃えたアウトドア装備と、カセットボンベのストーブ、それにマグマカイロをお供に、地道に作業を進める。

途中、復刻版の高村光太郎『道程』に出会う。年初に噛みしめた「牛」の詩が載る本だ。ふと開くと「冬の詩」だった。暗くて凍える倉庫で、作業ライトの下で読む「冬の詩」は格別だった。

冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見渡すかぎり冬だ
その中を僕はゆく
たつた一人で

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入口も裏口も全開で、エアコンの暖房が寒さと闘うものの敗北している店に、それでも足を運んでくださるお客様はいらっしゃって、いつもの冬の週末くらいの売上になる。本当にありがたいし、とても嬉しい。

不安ばかりの日々のなかで、お客様が本を手に取ってくださる姿、よい本を見つけて買ってくださる姿を見ることは、なにより心を安定させてくれる。

いま、ご来店があること、売上があることは、悪だろうか。