日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

4月6日(火) わたしが遺せるもの

芸人ラジオを梯子していたら、くるりの「東京」を2回も聴いた。そういう季節だ。こういう曲を聴くと自然とすぐに20代の気持ちになってしまう。もうあの地点には戻れないのが嘘のようだ。

死に向かって一直線に生きていくしかないのが人間なのだなと、ちょっとずつガタの出てきた身体に向き合いながら思う。それはやっぱり寂しいし悲しいしつらいことだ。しかしこれだけは全人間に平等な事実なのだから仕方ない。

せめてこの世界になにかしらを遺したい、と思う気持ちが強くなってくるのを感じる。自分にとってのそれが、この徒然舎だったのだけれど、歳を重ねるにつれ、この店そのものだけではなく、スタッフたち、さらには新しい古本屋さんも、(傲慢な言葉を使わせてもらうとすれば)育てることができたらと、強く思うようになった。

日が落ちてからようやくスイッチが入り、〈小さな古本屋講座〉のチラシ用のテキストを書いた。果たして自分のような人間が「講座」を開く資格があるのか、ことばに耳を傾けてくれる人がいるのか。書きながらもなお迷い、自信は持てないままだったけれど、誰かが手を挙げることで、集まれて出会える人、前に進むきっかけや何かしらのヒントを掴める人はいるだろうと思うのだ。

偉そうだと叩かれたらどうしよう。店が潰れた責任取れと詰め寄られたらどうしよう。書く手を止めると、次々浮かび上がるマイナス要素と不安ばかりが押し寄せてくるので、一息に書くようにした。

こんな時代だけれど、いや、こんな時代だからこそ、ささやかなともしびを灯せたら、と、その願いだけで進む。

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布団にくるまりながら、ラジオ深夜便「ラジオ文芸館」の、太宰治姨捨」を聴く。そういえば、10代から20代初め頃はあんなに好きだったのに、久しぶりに太宰作品に触れる気がするな、と思いながら聴いていると、まったく思いがけず、自分が拒絶反応を起こしていることに気づいた。自然と、なんじゃそりゃ、と口に出たり、笑ったりしてしまっていた。「死ぬ死ぬ言いすぎだろ」

40代も半ばの自分にとっての「死」が、20代でも読んだはずのこの作品のなかの「死」と、あまりに違うところにあることに気づいて驚いた。もちろん少し、悲しかったけれど、学生時代にはわからなかった大人たちの太宰評も今なら解るってことか、と思ったら面白くなった。改めて調べると、太宰は38歳で去っていた。

4月5日(月) T子さん

数週間前に買取本を預けてくださったまま、ずっとすれ違っていたT子さんにようやく会うことができた。査定額のお支払いをしつつ、いつものようにお喋りをする。

T子さんは前の店舗の頃から運んでくださる、わたしの祖母とほとんど変わらない年齢のご近所の女性。とにかく暇だった旧店舗時代には、買ってきてくださったケーキを半分こして食べたりしながら、京都のおすすめランチや最近読んだ本のことなどを取り留めなくお喋りして過ごした。今の店舗に移転し、わたしが忙しくなってくる一方で、T子さんはご主人やご自身が体調を崩されたりすることもあり、お会いする機会が減っていった。それでも時折、離れて暮らす娘さんと読み終えた本を持ってきてくださるたび、顔を拝見しては安心していた。

T子さんは、わたしにとって、ほんとうの祖母のように思えているのだった。T子さんはいつもわたしの体調を心配しながら、店を応援してくださる。T子さんが手術を迷っていたときは、いろいろ調べた上で、おかしな民間療法はやめて、とにかく手術してほしいと説得した。回復されたときは本当に嬉しかったし、ご主人を亡くされたと聞いたときは本当に悲しかった。あなたの赤ちゃんを見たいわあ、と言われたときは、本当につらかった。

今日のT子さんは、法人化おめでとうね、と祝ってくださったあと、これおやつに、と、御座候の草餅をくださった。やっぱり粒あんよね、と盛り上がった。ここのところ歩くのがしんどくなってきてしまってね、と寂しそうに言われるので、これからあったかくなるし少しずつお散歩してくださいよ!と励ました。コロナだしずっと家にいるから、ほんとに、本ばっかり読んでるのよ。本があってよかったわ。と笑うT子さんに、山本善行さんが撰んでつくられたんですよ、と、灯火舎の「どんぐり」を薦めた。あらまあ、素敵な本ね、と喜んで買ってくださった。

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夕方、岐阜県中警察署へ。法人としての古物商許可を申請する。先日、必要書類を確認してもらっていたので、19,000円分の証紙を添えてスムーズに終わる。法人の許可証ができたら、いま持っている個人の許可証と交換になるという。13年間、何度も記載事項を変更しながら一緒にがんばってきた許可証がなくなってしまうのは少し寂しい。

 

サンドリもよなよなも聴き終えてしまって、布団の中で聴くものが思い当たらず、ふとラジオ深夜便を聴きながら、NHKラジオの聴き逃し番組一覧を見ると、かなり前の番組も聴けるものがあることがわかる。最初に目についた「カルチャーラジオ 文学の世界」で、荒川洋治さんが語っているものを聴き始めたら面白く、何度か巻き戻して聴く。

詩と散文の違いについて。吉本隆明大岡信の分析も紹介しつつ、荒川さん自身の「散文は社会的なことば、詩は個人的なことば」という表現にしっくりくる。正確に伝達することよりも、自分のなかにあることばを、恐れずに、どーんと提示するのが詩であると。

聴くうちに、読むたびに少し不快な不思議な気持ちになり、けれどまた何度も読んでしまうマーサ・ナカムラの作品を思い出していて、そうか、散文のように読んでしまっていたけれどやはりあれは詩なのだなということが腑に落ちた。

4月4日(日) バックヤードにも思い出は積もる

暗い雨の日曜日。ほんとうに、春なのに毎週末が雨だ。もちろんガックリ売り上げが落ちるので、商店主としてはやり切れない気持ちだけれど、春の歓びのままに走ってしまう我々の気持ちに水を差しているのだとしたら、このご時世、悪いことばかりとも言い切れない気がして、口をつぐむ。

昨日仕事中に水没させた携帯が、一晩経ってもどうにも直らなかったというスタッフが、有休をとって携帯ショップに行くことになる。水没直後、なんとかする知恵はないものかと皆で話していたとき、「生米に突っ込むといいって聞いたことあります」と言ったスタッフがいて、めちゃくちゃ笑う。最新機器と生米が突如結びつき、土俗的に響く言い伝え。携帯は、海苔に入っていた大きなシリカゲルと共に一晩、密封したそうだが効果は薄かったらしい。生米にすれば違ったかしら。

昨年初夏まで一緒に働いていた元スタッフが突然、来店。ご家族の仕事の都合で東濃に引っ越すことになり、とても残念そうに辞めていった彼女。昨秋の名古屋でのイベントにも顔を出してくれた。「こうやって、ふらっと立ち寄れるのが嬉しいです」と言ってくれて、わたしも嬉しくなる。

彼女が塗るのを手伝ってくれた本棚は、まだ青いままだ。この店のあちこちに、これまで一緒に働いてくれたスタッフたちの痕跡がのこっている。二度と会わないままの人もいるけれど、楽しかったことも、そうでなかったことも、たくさん覚えているし、あらゆることが徒然舎とわたしをここまで育ててくれることになったのだと、いつもありがたく思う。たくさんの痕跡たちとは、これからも共に在り、共に歩いていく。

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お客様も途絶えた閉店時刻前、ふと思い出して、すぐそこを走っている聖火リレーのネット中継をスタッフと一緒に見た。雨の金華山、大変そう!走るなって止められてる!トーチのまま城に入ってる!危ない!なんて笑い合った。初めて聖火リレーなんて見ましたよ、わたしもだよ、なんて言い合っていたら、なんだか満ち足りた気持ちになっていた。

4月2日(金) ほどよ古書店

やっと、年金事務所社会保険加入の手続きを終えた。山積する事務手続きの中で、一番気を重くさせられていた強敵を倒せたので、少しだけ気持ちが楽になった。スタッフも、われわれも、ついに協会けんぽと厚生年金になったんだな。会社を辞めてから13年。自力で加入したぞ、厚生年金。

その後は、すっかり行き慣れたハローワークへ。先週、労働基準監督署とともに法人成りの手続きは済ませてあったけれど、今月から雇用保険加入するアルバイトさんがいるのでその手続きに。駐車場にはいつもの倍、交通整理の方がいて、建物の中もなんとなくざわついている。適用課も15人待ちなんて初めてのこと。とはいえ手際よく進めてくださり、さほど待った感じはせず完了。

もうしばらくは続く、事務手続き。気を使いながら手書きで欄を埋め、印鑑を押し、必要書類を揃えることの連続は、なにより気持ちが削られるのがしんどい。本の値付けのことばかり気にかけられる日が待ち遠しくてたまらない。

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昨夜の「ハライチのターン」を聞いていたら、岩井が、疲れてクタクタの仕事の合間に行った洋食屋が「ほどよ店」だった、と話していた。人の良さそうな店主のお爺さんが気になってしまうような老舗ではなく、かと言って、見たこともない珍しいメニューが並ぶ新しい店ではなく。細やかに気を遣われないけれど干渉もしてこない接客で。オーソドックスなメニューが、良心的な値段で揃っていて、期待以上でも以下でもない見た目と味で供される店。クタクタに疲れているときにちょうどいい、程よい店=ほどよ店。

「「ほどよ店」を目指してるお店ってあるのかな」と笑いながら2人は話していたけれど、聴きながらわたしは、まさに自分が目指しているのは「ほどよ古書店」だよなと思っていた。

気張って行く敷居の高い店ではなく、本を見たいなあ、くらいの気持ちで立ち寄れる店。店内は広すぎず、かといって店主の目が気になるほど狭くはなく、耳障りにならない程度の音楽が流れていて、なんとなく、棚を見ていると、ふと目にとまる本があって、手にとると思っていたより小綺麗で、値段も予想より少し安くて、じゃあ今日はこれ買って帰って読んでみようかな、と思うような、古本屋。

思うに「程よい」というのは、実はとても高い要求で、少しでもマイナスポイントが目につくと「程よくない」ことになってしまう。店が暑い寒い埃っぽい臭い、店員の対応が悪い、なんとなく割高だ、そして、欲しくなる本が無い。お客様がそれぞれに気になるであろう様々なマイナスポイントに気を配って、そう思われないように努力する、し続けることでしか「程よい」レベルは保てない。

そしてなにより古書店の本質として、品揃えの面白さで常に期待を上回らなければ、最低限の満足もしていただけないことになる。人気の老舗料理店の「変わらない味」というのは実は常にアップデートを続けていて、それを怠ると「味が落ちたね」と言われる、という店主の言葉を目にして以来、努力はし続けなければならないのだと肝に銘じている。

疲れたときこそ立ち寄りたくなる「ほどよ古書店」であるために、明日もやることがいっぱいある。

 

2021年4月1日(木)24:00~25:00 | ハライチのターン! | TBSラジオ | radiko

2月27日(土) コロナと在るまち

やり残していたお金のことを思い出して、朝礼のあと慌てて郵便局と銀行へ。土曜は12時半で郵便局のATMが閉まる。

店のすぐそばにできたマンションは、木を植えたり側道の整備をしたりしていて、そろそろ完成らしい。造っているうちに、世界はコロナになってしまった。このあたりには次々とマンションが完成していっているけれど、スムーズに売れているのだろうか。まちは皆、新しい住人さんたちを待っているのだけれど。

まちを眺めながら歩く。柳ヶ瀬の入口に、野菜と果物の店が明後日オープンする。最近人の気配がなかった交番近くの広いテナントは、ついに不動産屋の張り紙が貼られた。跡形もなく片付けられた元ドン・キホーテの隣、サロン・ド・〇〇という看板の前で記念写真を撮っている楽しげな女性たち。オープンなのだろうか。交差点のカメラ屋さんは閉店され、存在感のあった自販機も撤去されてビニールシートになっている。角を曲がると、元・我楽多書房さんの隣にあった自由書房さんの事務所?教科書販売の拠点?駐車場が、すっかり更地になっていて驚いた。隣の居酒屋は緊急事態宣言からずっと休業している。

狭い範囲をぐるっと歩いただけなのに、こんなにまちの風景が変わっていることを、改めて感じる。コロナとともに、時はぐんぐん流れてゆく。

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土曜の午後は夕方までの3時間、私が店番担当。お客様も持込買取も多い時間帯なのでそうしているのだけれど、値付けや本の棚差しやSNSでの新入荷紹介やらを平行でやろうとするので、時に目がまわる。いい感じにスタッフにフォローしてもらいつつ、今日は乗り切る。

夕方前あたりから、なんだか大盛り上がりしている様子の声が聞こえてくるようになった。どうやら、通りに出てお酒を飲んでいる方々がいるらしい。ハライチの岩井が目撃したと言っていた「今日でコロナが終わりました!という日のような大歓声」のような感じ。静かな店内に、時おり悲鳴のような声が入り込んでくるのは、正直あまりよい気分ではなかったけれど、毎晩遅くまでお酒を飲んで笑うことが大切な息抜きだった人にとっては、このコロナの日々は、頭がおかしくなりそうなくらいつらいだろう。自分はたまたまお酒が飲めなくて、そうでなかっただけ。そう考えていたら、今日くらいいいかな、と思っていた。19時で店を閉めているときには、酒類提供時間も終わっていたので、すっかりまちは静かになっていた。正しいような、悲しいような、静けさだった。

2月26日(金) モスキートンはもう聞こえない

開店からすぐ、新スペースの工事前の計測など打合せ。ついに、動き出す。特に金額的に、初めてのことばかりで、ふと我に返ると怖くなってくるが、お任せしているのが信頼できる方ばかりなので、大丈夫だと思える。

午後からは、月に一度の税理士さんの監査。確定申告も近いので、あれこれと指摘をいただく。

春休みに入っているせいか、今日はなんとなく若いお客様のご来店が多い。

レジでしきりと「本当にねぇ、本をきれいに整理されていて、素晴らしいわ」と褒めてくださるご年配のご婦人。「本をね、本当にきれいに整理されているから、見ていてとても楽しいわ。また来させていただくわね」と笑顔で何度か言って帰られる。本自体が手入れされていること、店内の掃除ができていることを褒めていただくことはあるが、「本が整理されていること」をストレートに褒めていただくことは無かった気がして、ほんわりと嬉しくなる。

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倉庫から戻ってきた太閤堂が、なんだか差し迫った顔で「さっき駐車場に行ったらさ」と話し出すので反射的に身構えると、一緒に行ったスタッフが、駐車場の中ほどに差し掛かったら両手で耳を塞いで苦しみ出した、なんてことを言い出す。予想外のオカルティックな展開に戸惑っていると、「猫避けに置かれている機械から、音が出ている『らしい』んだよ」と続ける。「ほら、あれだよ、若い人にしか聞こえない、モスキート音てやつ」。

数週間前、糞害のクレームに対処するためだろう、急に設置された猫避け用の機械が、我々を感知しては点滅で光ることには気付いていたのだけれど、そんな音まで出ていたなんて。毎日出入りしていたのに、まったく気付いていなかった。

「年取ると聞こえなくなるんだって!」と、コンビニにたむろする「若者避け」にモスキート音を流す、というニュースを見て笑っていたのはついこの前のような気がする。しかし、もう、すっかり、聞こえない側の人間になっていたわけだ。

老いたねえ、と、寂しく笑い合いながらも、モスキート音がまだ聞こえる世代のスタッフたちと一緒に働けていることを、一緒に働いてくれていることを、改めて幸せに思った。

2月25日(木) 春の便り

昨日の人間ドックで飲んだ胃カメラの違和感が、まだなんとなく喉に残っている気がして、口いっぱいの飲み物をゴクリと飲んだりしてしまう。でももしかしたら、花粉のせいかもしれない。

毎月25日を過ぎると各種支払いなどでバタバタし始めるのだけれど、今月の平日は今日か明日しかなくてさらに焦る。銀行や郵便局を慌ててはしごする。もしかしてと思って郵便局に持って行った古い郵便ハガキ(2円や5円や7円のもの)が、切手に交換してもらえるとわかり、お願いする。買い取った古い本に挟まっていたりするけれど、なんともできず溜まっていくばかりの、60年くらい前のハガキ。30枚くらいが、手数料を引かれ、84円切手5枚になった。

明るくはなってきたものの空気は冷たいままで、16時頃には店内ががらんとする時間もできてきた。そんなところに、Tくんが来た。

社交性に乏しく、酒も飲まず、子供もいない我々は、徒然舎だけが社会との接点のようなもので、とはいえ常連さんと店主がいつもわいわい盛り上がっているような店にはしたくなく、結果、さほど人間関係が広がることもなく10年店を続けているのだけれど、そんななか、店が終わってからご飯に行こうと誘える、LINEを知っている、数少ない仲良しのお客さんがTくん。その彼が、岐阜のまちに引っ越してきた。なんだか不思議な感じだけれど、嬉しい気持ちのほうが勝るなあと思いながら、差し入れでもらった「川島」のプリンをいただいた。

楽しい春が来るといいな。

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