日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

4月11日(木)

朝礼のあと、車で柳ヶ瀬の無印へ行き、無印週間に注文していた折りたたみ机とスタッキングできる丸椅子を受け取る。関西蚤の市に間に合ってよかった。無印は平日にも関わらずなんとなく賑わっている。秋からの柳ヶ瀬の核になってくれたらいいのにな。

火曜日の市場の売上や、あじさい堂さんから受け取った年明けの正文館書店知立八ツ田店での古書フェア売上を銀行に預け入れて、新札両替もする。「岐阜駅本の市」の売上をトンガ坂さんとDISCOVERYさんにお支払いしたことなど、帳簿をつける。

近くの企業の方が来店され、出張買取をご依頼くださる。すぐ近くなので太閤堂を倉庫から呼び戻し、行ってもらう。

気づけば14時を過ぎてしまい、慌てて昼ごはん。スープジャーの豚汁と、冷凍ごはん。おかずを用意する余裕がなかったのでチーかまもかじる。歯を磨き、ジャーを店に置きに戻るともう育休スタッフが来てくれていた。

作業場に移り、スタッフと話す。隣の椅子に座らせたお子さんは機嫌が上下しながら、全体としては不機嫌に向かっていく。 途中で買取から戻った太閤堂も合流。育休からの復職、という初めての事態に、スタッフも、会社としてのわたしも、戸惑うばかりで不安が募るが、なんとか道を見つけていくしかない。

慣れないことを考え話したこともあり、どっと疲れる。あまり仕事に身が入らない。作業場へ行くと、今日届いた大型のスチール棚を太閤堂とスタッフが組み立てている。業務用の頑丈なもののせいか、ちょっと難航しているようす。わたしは何もできないので店に戻り、カンカンカン!という金属音を聞いていると、設置できました!という写真が送られてきた。

店先の200円雑誌コーナー用の雑誌を仕分けつつ、本の値付けをしているうちに閉店時刻。スパイスカレーの匂いがしてくる。いま工事してる2階の店からだろうな。

f:id:tsurezuresha-diary:20240412011720j:image店を撮ったのに、メモリ不足か動作が遅くなっていたiPhoneが時差で撮っていた足

更年期の話と記録。

この一週間ほど、ホルモンバランス崩れのターンに入り、なかなかしんどい。このなんとも言えないしんどさこそが更年期ってやつなんだろうなあと思わざるを得ない、嫌な嫌なしんどさ。からだの中心から、いやーなものが湧いてくるのだ。それは「いやなもの」としか言いようがない。苛立ち、不満、焦り、不安、厭世観、諦念、投げやりな気持ち。気を抜くとそれらに気持ちを絡め取られそうになる。足がついていかないのに坂道を走り出してしまっているような感じ。

あちこち身体が少しずつ具合が悪くなってきて、体力がなくなり、意味不明に太り、そういう現実から、ああ、死ぬほうが近くなってるんだなあ、てことは今から何かやっても時間足りないんじゃないかなあ、と思うことが増えて、それでなにかずっと心のなかに、焦りと諦めが生まれているのを感じる。人間皆だいたいこのあたりで、もう、自分の人生はこういう感じってことだな(憧れてたあんな感じや、夢見てたこんな感じはないってことだな)、と先が見えてくるから、他人への僻み妬みや、勝手な見下し、嫌味な卑下、品のない開き直り、後先を考えない無神経さ、といった、「いやな大人」がボコボコと生まれてくるのだなあ、と、わかってしまった。そうはなりたくない、と思えど、からだから湧き出すものに、同じ成分が含まれていることにも気づいている。それが、ほんとうに嫌だ。ぼーっとしていたら、あっという間に醜くなる。

とにかく転がる心を落ち着かせるべく、こんな時期は、ゆっくり本に値段をつけたり、本の山を切り崩して汗をかいたり、帳簿をクリアにしていったり、とにかくこつこつ地道に作業して、結果がわかりやすく目に見えることに集中していたい。春はなにかとソワソワする・させられる要素が多くて、それでなくても苦手なのだ。先日は鍼灸院でメンテナンスしてもらった。東京の友達に会う計画も立てた。なにかしら前向きなことを見つけよう。自分が得られなかったものではなく、頑張って生きてきた結果、得られてきたものを大切にしよう。

とにかくなんとか乗り切りたい。あと何年、こんな思いしなきゃならんのか知らんけれども。

 

  • プロの芸人の喋りは本当に安心する。ありがたい。余計なことを考えさせずにただ笑わせる、って、絶対に難しい。ただ笑わせてくれるかどうか、心が安定できるかどうか、で、最近は番組を選んでるなあと思う。
  • ランジャタイのPodcastはじまって嬉しい