日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

10月13日(金)

岐阜の高島屋が閉店するニュースが出て、結構ショックを受けていることに気づいた。東京の街を歩き、書店や美術館へ行き、人の手によるものをたくさん見てきた直後だから余計、なのだろう。限界に近い密度で外国人含めあらゆる人間が行き交い、剥き出しの感情がぶつかり合わざるを得ない大都会。かたや、人がそこに作り維持してきた人工物が消え、街は縮小していき、相対的に、自然の存在感が増していかざるを得ない、地方都市。自分にとって居心地が良いのは、どちらなのだろう。

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店の隣の古い建物が壊され、コインパーキングになった。自宅の近くの古いビルも今まさに壊されていて、毎朝重機の音で起こされる。そこになにが建つのだろう、誰がなにを始めるのだろう、という期待感は、これまでも尽く裏切られてきた。お金を出せる人も、動ける人も、とにかく限られているので、ああ、また、ということしか起こらない。

それなら自分が動けよお金を出せよ、ということなのだとも思ったりしたが、自分がやりたいのはまちづくりではなく古本屋であって、そこに全力でお金と時間と体力と能力を注ぎ込んでいるのだ。第三者ではなく当事者として、小さな鍬でまちを耕して種を蒔き、酷暑にも極寒にも耐え、水を肥料を適切な手入れを与え続けて、土地にしっかりと根を張った店を育てる。結果的にそれが、まちのためになるはずだと信じて、とにかくよい店を作ることしかできない。

だが、それは果たして(いまこの時にこのまちで)期待されていることなのか、正しいことなのか、わからなくなり、自信を失うこともある。

今年初めて、4日間も仕事を休ませてもらった。明日からまた日常が始まる。