日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

6月5日(月) 古本屋の仕事、memento mori

明日の市場用に釣銭を準備していかなくてはならなくなり、レジ用の小銭やなんやをかき集めたり、銀行の窓口とATMでそれぞれ両替したりする。とにかく銀行が小銭に対してあからさまに冷たくなったせいで、小売店はつらい。入金手数料が割に合わない1円玉は、抱えて神社に行こうと思う。

そうこうするうち開店時間。平日だが月曜は比較的お客様が多く、今日も開店からすぐ次々ご来店があり嬉しい。本を見たいな、徒然舎に行こうかな、12時から開店だな、と考えて、ここまで足を運んでくださる人がいるという幸せ。

5月選書のレコメンド新刊本のポップ書き。4月は大市ということでお休みにしたため、棚を充実させるべく張り切って7タイトルも選んでしまい、大仕事に。1時間半くらいかかってしまう。早く読みたい。

100均の棚が空いてきてしまったので、作業場で文庫を仕分ける。数年前に買い取らせていただいた200箱ほどの文庫も、残り10数箱になった。文庫100均まつりや、買取のなかったコロナ中、そしてこの毎日の営業も、この文庫にずっと助けられている。ほんとうにありがたい買取だった。

15時、作業場で弁当。玄米チャーハンとフリーズドライの野菜スープ。昨日の「だが、情熱はある」を観ながら。相変わらずむずむずしながらも、やっぱりお笑いは好きなので、つい観てしまう。M-1敗者復活戦のオードリー出番あたりで作業場にアルバイトさんが本を取りに来られ、一緒に少し作業する。終わって一人になってから、流しっぱなしだった画面を巻き戻して、漫才を最初から最後まで見直す。完コピ、と話題になっていたが元ネタをきちんと知らないので新ネタのように観て、しっかり笑ってしまう。なんだか満足してしまい、今日はここまでで観るのをやめる。

店に戻り、大判やセットものの値札づくり、新刊在庫のチェック表を確認しながらの追加・新規注文の検討、トートバッグの代金支払、公費注文書類や取引誓約書への押印、アルバイトさんへの「日本の古本屋」入力レクチャーなどなど。あれこれとやることが続く。

 

電話が鳴り、しばらくして、2階事務所からスタッフが降りてきて「店長」と言う。今週末、買い取りに伺う予定だった方が急逝されたとのお電話だった。あまりのことで、すぐに理解できない。「わかった、太閤堂に伝えるね」とだけ話す。身体が震え、涙が湧いてくるのを、こらえる。

改めて考えてみれば当然のことではあるのだけれど、古本屋の仕事、お客様から本を買い取るという古本屋の根っこの仕事は、「死」に近いところにあるのだった。「終活」なんて流行語でマイルドにしているけれど、ご自身が亡くなってから家族が困らないように、とか、価値のわかる自分が生きているうちに売りたい、とか、そうしたきっかけでご蔵書の整理を相談されることは多い。そしてまた、亡くなったご家族の遺されたご蔵書の整理という場面はとても多く、出張買取依頼の半分以上を占めているのではないかと思う。自分の死後に蔵書を徒然舎に売る、と遺言に書いていいかい?と相談いただいたこともある。そうした場面にならなければ手放したくないのが、時間をかけて大切に蒐められた本なのだ。

じつはわたしはこうした場面に立ち会うことが苦手で、出張買取にはよほどでないと同行しない。ご家族が思い出を語られたり、ご本人が本への思いを熱弁される、その場と、本そのものがもつ空気にすっかり心をもっていかれてしまい、感情が揺さぶられてしまうのだ。古本屋として駄目やなあ、情けないなあと思う。それなりに経験を積んだぶん、仕事はきちんと全うするけれど、心はものすごくよれよれになってしまう。

古本屋は、誰かが必ず一度は手に取った本を売っている。100年前の本も日常的に触っているけれど、この本を最初に手にした人はきっともう亡くなっているのだろう、と、時折思う。本は、人よりも長く生きる。人は、今わたしが値段をつけようとしているこの本より早く死んでしまう。

メメント・モリ。そしてカルペ・ディエム。

古本屋としての人生が長くなるにつれ、あの方が亡くなってしまったのか、という悲しさと寂しさは増えていく一方だ。そして自分も、老いてゆくのを日々感じる。せめて今日このときは、大切にされてきたからこそこの手に届いているこの本を、この店で大切に売りたいと思う。喜んで手に取ってくれる次の読者へ橋渡しをして、あなたの選んだ本はやっぱりいい本でしたよ!と伝えたい。わたしにとっての古本屋は、そんな仕事でもある。

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