年越しってこんなに眠かったっけ、と、結構ショックに思いながら、目をショボショボさせつつ、テレビは「ゆく年くる年」、わたしのスマホは渋谷のライブカメラ、太閤堂のスマホは宇宙からみた地球越しの日の出で、なんとか年を跨ぐ。
卯年。年男、年女というやつだ。
昨年のことを振り返ってから年を越そうと思っていたけれど、どうしてもそこまで気持ちが持ち上がらず、諦めた。去年の後半は、体力のみならずメンタルも脆くなってきてしまったなあと感じさせられた日々だったけれど、諦めること、欲張らないこと、やりたいことは少しずつでも続けていくことの大切さも学びつつある。
それこそ昨年夏あたりから始まったウィズコロナの世の中は、いろいろが不安定で、かつ、とてもシビアで、コロナ中とはまた違う柔軟性と対応力を求められ続け、正直なところ、わたしは立ち向かいきれなかった。勝ち負けで言えば負け越したまま2022年は終わった。
これまでの分を取り返すように明るく!テンション高く!という世の波に乗り切れず、翻弄され続けるうちに年末まできてしまった。
助け合い、手を差し伸べ合い、なんとか生き抜こう、という、しんどくてもどこか温かかった世界はすっかり終わってしまった。本というものに温かい目が向けられたあの空気も、夢だったかのように去ってしまったようだ。でもしかたない、時は流れてゆくものだし、揺り戻しの後に、また均衡が生まれる。そこにどう立つかを考えながら、がんばっていくしかない。
今年の標語は、「コツコツ積み上げる」「追われない」「ちゃんと休む」とする。
夕方、このままでは家から出ないぞ、元旦からそれでは!と気持ちを奮い立たせ、粕森神社まで歩く。
ふと見ると、旧店舗の隣にあった店が空になっている。仲間内が時々集まられる小さなお店のようだったけれど、いろいろ気にかけていただいた。ミニ産直市場のようなこともされていて、ある日「今朝、仕留めたばかりの鹿で作ったんですよ」と鹿汁をいただいて面食らったこともあった。店番をしていると、背後にある押入れの板の隙間から、美味しそうな鶏ちゃんを焼く匂いがしてきたりしたものだった。
神社には、まだ少しだけ初詣客もいる。手水に柄杓がある。「とにかく健康に、なるべく笑顔で、がんばれますように。がんばらせてください。」