日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

6月22日(水)

イベント前の不安定な気持ちで陰鬱な日記を書いてしまったなあと、なんとなくずっと引っかかっているけれど、書きでもしないと乗り切れなかったのだから仕方ないところではある。というところに落ち着いて、削除はしないことにして、でも読み返してはいない。早く次の日記を書いて、記事を押し込みたかったのだけれど、なかなか気持ちが向かなかった。

 

休日。久しぶりに「家事」がしたかった。

洗面台を掃除して鏡を磨き、風呂場の鏡も「ウロコ落とし」洗剤で磨き、床の隅に固まった埃をこそぎ取ったら、脱衣所が見違えるほど明るくなった。

八百屋で買ったままだったキャベツ一玉を、ひたすら千切りと乱切りにしてポリ袋にいれる、という作り置きライフハックにも挑戦。もう切ってある、というだけで、料理のハードルがすごく下がりますよ、という料理研究家の言葉どおり、一玉にはなかなか手をつけなかったのに、昨日今日と4分の一玉ずつ食べてしまった(キャベツ納豆サラダと、キャベツたっぷりお好み焼き)。

家事をちゃんとやる気持ちよさってあるよなあ、と思う。これが、必ず求められる仕事だったらつらいだろうけれど、理想とするレベルの家事をしっかりやれると、気持ちがほんとうにすっきりする。

それにしても母の家事は素晴らしかった。専業主婦だったから、というだけではない、性格と努力によるものだったのだと、家事をする身になってつくづく思う。

 

イベントが立て続けに待ち受けている、自分の状況を鑑みても、世の中はまた急激にアクティブになってるなあ、テンションが高くなっているなあ、と思う。それに比例してSNS投稿も、より刺激的に、より耳目を集める方向に、活発になってきているのを感じる。

斜に構えた言葉も、盛った映え写真も、あまり目にしたくない。(それはそれで「今」なのだと思うから、目を背けず見ておこうとは思う)

こんな時だからこそ余計、地に足をつけていたい、確かな手応えのあるものを信じたいと願う人が(SNSの中には見当たらないけれど現実世界には)自分以外にもいるはずだから、そんな人のために、せめて自分の店は、穏やかに、冷静に、理知的にありたいと、いっそう強く思う。

今に在ることと、今に流されないこと。古本屋としての役割と意義。それを強く考えさせられる日々が続く。

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