日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

1月1日(金) 牛は平凡な大地を歩く

高村光太郎「牛」より

 

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

(略)

自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる

(略)

牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

  

来年は丑年、ということは徒然舎の年ですね!
と、旧くから当店を知る方だけでなく、入って間もないスタッフからも声をかけられることが多かった12月。
そうか、そうだな、徒然舎は「牛の古本屋」だったよな、と、息つく間もなく走り続けてきた自分にとってはなんだか遠くなってしまっていた思いが、言われるたび少しずつ蘇った。

 

高村光太郎のこの詩に出会ったのは、今の店舗に移ってきてからのことなので、高校時代から大切にしている牛のぬいぐるみをきっかけに牛好きになって、そこから「読書をする牛」を描いていただいてアイコンにした10年前の開店時には、まったく意識していなかった。

初めて読んだとき、そして折に触れて読み返すたびに、深く、沁みわたり、そして心を奮い立たされる、この詩。

思ってもみなかった事態に飲み込まれ、もがきながら、それでも必死に前に進み続けた2020年を終えて読んだとき、なんとも言えない思いと涙が込み上がってくるのを感じた。

目の前に現れる荒んだ道を、一歩、一歩、歩いていくしかなかった2020年。雲に乗りたいと思った、水の上を泳ぎたいと思った、やくざな架空の地面とわかっていてもそこで笑う人たちを羨ましいと思ってしまうこともあった。けれど、自分はそちらには行けないことには気づいていたし、心の底では行きたいと思ってはいないことも分かった。だから、自分の道を、ひたすら歩いた。その道には、信じられる仲間もついてきてくれて、ときに共に草をはみ、共に笑って休んだ。

今年もわたしは、平凡な大地を歩くだろう。空を望み、水を眺め、身軽に立ち回れる人のことはやっぱり羨んでしまうだろう。けれどもわたしは牛なので、がちり、がちりと、必然の足どりで、強情に歩き続けたい。