日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

7月27日(月) 複雑化する第二波の世界で

「最近の若者は本を読まないからな!」

ーー「いえいえ、そうでもないですよ」

「本屋とか古本屋なんて商売は、もうやっていけんだろう!」

ーー「いや、うちは潰れませんよ」

頭ごなしに断定的に言われやすいこのふたつの発言。よほど身の危険を感じるお客様以外には、なんとなく反発してみる。

その方の思う読書量や儲けではないかもしれないけれど、本を必要としている人は確かにいて、お金を払って本を買う人も確かにいること、わたしはわかっていますよ。

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あんな悲惨な天気だったにもかかわらず、お客様は足を運んでくださり、寂しく思う時間のない4連休だった。

その一方で、ニュースでは連日、増えてゆく感染者数が次々に報道され、盛んに「第二波」と連呼されている。

SNSを見れば、GOTOキャンペーンを糾弾する声、再度の緊急事態宣言を発出すべきだという声、医療現場の逼迫を訴える声、それらの合間に、久々に開催されたイベントを楽しむ様子、再会した友人と笑顔で会食する写真、再開されたスポーツ興行のレポート、テーマパークやショッピングモールが通常営業に戻り人々が行き交う様子が流れてくる。

いったい今はどんな世界なんだ?

疲れた夜にタイムラインをスクロールしていると、流れてゆくすべての出来事が現実でないような気がしてきて、くらくらしてしまう。

 

すべてが停止した、あの緊急事態宣言下の日々。

町から人が消え、店の灯も消え、穏やかな春の陽気の中で、静かに帳簿と申請書に向き合う毎日だった。

店の売上ゼロ円、という厳しさは現実にあったものの、日本全国が「STAY HOME」の掛け声のもとにあったあの日々は、未知の恐怖に脅え身を寄せ合いながら暮らす中で、みな苦しい思いをしているという認識を共有できていて、見せかけであったとしても思いやりと優しさが世の中に満ち、温かい言葉を掛け合う気持ちの余裕も少しはあったように思う。

今や、当時のあの日々を甘く懐かしむことさえある。

 

「第二波」下のいま、状況は日に日に複雑化し、「正解」はなんなのか、見つけきれない。「STAY HOMEが正解ですよ」と言われた春と違い、それぞれに考え、行動することを求められる。徹底的に考えて行動する人もあれば、考えるのが苦手な人もいるし、日々の情報に身を委ねる人もいる。そんな第二波の日々は、人々の間に着実に分断を生んでいっているのを感じる。「一致団結」は怖いが、意見を交えることのない分断も怖い。(東日本大震災後の様相は、ほんとうに辛かった。)

自信が持てないまま自分の思う「正解」のかたちを信じて前に進むしかない今、みな多かれ少なかれストレスがたまっている。世の中で、身近なところで、蓄積したストレスがいろいろなかたちで爆発しているのをみる。火の粉が自分に降りかかることもあるけれど、でも、今はしかたない、と思ってしまう。ただふつうに生活しようとするだけで、この世界では、ストレスが溜まってしまうのだもの。

マスク必須、消毒必須、人数制限あり、なんて厄介なお願いばかりの古本屋に足を運んでくださる有難いお客様方。皆さんきっと大なり小なり抱えているであろうストレスを、ほんの僅かでも、店で本を眺めている間だけでも、忘れさせられる店でなければならんなあと改めて強く思う。そして、この複雑な世界に相対すために、なにかを知りたい、考えたいという気持ちに応える店でありたい。不要不急の古本の店だからこそ、今この世界で、できることもあるはずだよな。

 

ーーここしばらく取り留めなく考え続けたことと、いまの結論。

だから自分は働けばいいし、いいなと思う本をどんどん棚に並べていけばいいんだ。それがいまのわたしには「正解」なんだ。

よく眠りたい。