日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

6月13日(土) 「死を想う」仕事

朝からずっと雨。昼、通販で手配した線香の代金をコンビニに払いにいく。岐阜古書組合から、鯨書房さんへ。コロナ禍で、ずいぶん昔のことのようになってしまっていたけれど、まだあれから半年も経っていない。このお線香で、やるべきとされた仕事は、すべて終わってしまった。

 

15時の開店時刻が近づくと、ひときわ雨が激しくなった。悲しくて腹立たしい。そんな大雨の中お越しくださるお客様を、店内人数制限のためとお断りするのは本当に申し訳なくてつらい。湿度がものすごく、雨音がうるさく、マスクで声がこもって聞き取りづらい、不快なことばかりの店内で、「カゴをお持ちください」とお渡ししたり「マスクお使いください」とご案内したりしながら、お客様も、われわれスタッフも、お互いストレスになるだけじゃないかと思えてきて、ぐったりと疲弊する。

そんな様子を見かねて、ひとまずカゴでの人数制限はやめてみては?と太閤堂に提案される。そんなに気をつかった状態で店番をしていたら、いま以上に営業時間も延ばせないし、みんな疲れ切ってしまうから、と。気をつかう疲れと、お客様がいっぱいになって問題が起こってしまったらという不安。天秤にかけるのは難しいけれど、当店に足を運んでくださるお客様なら、信じても大丈夫なんじゃないかという気持ちもある。スタッフにも相談して、ひとまず明日はカゴなしにしてみることに決める。

 

昼のコンビニ帰りに、近くの翁屋さんでお供物の最中を買った。それを持ち、太閤堂が買取に出かけた。どうしても、お渡ししてほしいと思った。

「主人が亡くなりまして、そのときは徒然舎さんに本を売るから電話するようにと言われてましたので」と買取ダイヤルに電話があったのは数日前だった。そのご主人は、昨年秋、店頭で出張買取のご相談をいただき、それから何度も声をかけていただいては太閤堂がご自宅に伺っていた方だった。カレンダーを確認すると、6回は伺っていた。今年の1月を最後に、そういえばご連絡がなかったのだけれど、なにせバタバタと過ごすうちに時が流れていた。

買取から戻った太閤堂に聞くと、まだ本当に亡くなって間もなく、お電話くださった奥様は「徒然舎に電話するように言われていた」ということを思い出されて反射的にお電話されたらしく、まだとてもその時期ではないと思い、お供物をお渡しして、思い出話などをして、またその時は呼んでくださいねとお話だけして何も買わずに帰ってきたよ、とのことだった。

わたしは店頭で出張日時の調整をしただけで、その方のお顔もあまり思い出せない。けれど買取させていただいた本は覚えていて、その本から想像する、その方のイメージはくっきりと頭に残っている。長年かけて集めてきた蔵書を、もう高齢なのでと少しずつ託してくださっていたお客様。何回も呼んでくださるうちに、太閤堂を信頼し、大切な蔵書を任せてもよいと判断して、奥様に伝えてくださっていたのだろうか…。雨音は、悲しい方へ気持ちを連れていく。

亡くなられた方のご蔵書をお買取するときは、いつも心のどこかに切なさが生まれる。本というものの命の長さと、人の一生の儚さを思う。ご家族の悲しみや、その蔵書に込められた熱量を感じながら、喪の仕事の一端を担っているという気持ちで粛々と仕事をする。ただ、顔を知っている方、言葉を交わした方の遺されたものに、平常心で向き合うことはなかなかできない。古本屋という仕事が、こんなに「死を想う」仕事だとは、なってみるまでわからなかった。

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