日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

5月15日(金) 不安の連鎖

外に向いている防犯カメラの映像を見せてもらえないかと警察から依頼の電話がある。気になって近所を歩いてみたけれど特に変わったようすはない。けれど、なにかはあったのだろう。今は休業中の店を狙った空き巣も多いと聞くし、なんとなく不安になる。

 

ネットで本を購入してくださった常連さんが店に立ち寄ってくださり、直接お渡しする。レジの袋を手渡しする感覚が懐かしい。ドアのところで少し立ち話。日記で泣き言やらがんばるやら書いているせいだろう、無理しないでくださいねと声を掛けてくださる。ちょっと恥ずかしい。

 

下駄履きで無防備な姿の見慣れない男性が、閉まっているドアをガチャガチャと揺らして去っていった。休業を始めてから、毎日一度はそんなことがある。などと思っていたら、警察官を待っていた少しの間カギを開けてあったドアから年配女性二人組がいつの間にか店内に入ってきていたようで、「ごめんくださーい」と大声で呼ばれ、作業していた店の奥から飛び出す。休業中なのでごめんなさい、とご説明するものの、今日はお休みの日?あ、もうやってない店なの?と、なかなか伝わらない。

たくさんの張り紙があり、ロールスクリーンも降りているのに、なぜこんなことに、と、もどかしく、胸がどきどきし、少し怖くなる。

数週間後、限定的にでも店を再開することになったら、慎重で堅実なお客様はまだご来店されず、こちらが不安を感じてしまうような通りすがりの方ばかりが入店されるのではないか。そうした方にきちんとご説明して、対策をしていただいて、というコントロールが、自分には出来るのだろうか……という不安が、どんどん膨れてゆく。

というか、こうしたご来客に対して不安を感じてしまうようになっている自分について、不安に思う。不特定多数の方がご来店してこその「まちの古本屋」なのに、その事自体を不安に思ってしまうなんて。

これは、3月、悩み抜いて休業を決めた頃の気持ちに近い感覚だ。営業を再開するとなると、やっぱり、この気持ちが湧いてしまうのか。

すべての人に開かれた場所でありたい、そうあるべきだという気持ち。けれどそれを不安に思う気持ち。

このせめぎあいは、わたしの中でもうしばらく続きそうな気がする。焦らず、少しずつ、納得できる道を探していくしかない。6月1日の後の営業再開についてアナウンスできるのは、もう少し先になりそうだ。

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お客様からいただいた、かわいいぬいぐるみと、ウイルスを斬る座頭市の絵(別々の方から)。どうしてこんなに応援していただけるのだろうと戸惑うくらい、ありがたくて嬉しい。机の前に飾って、働く。