日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

1月23日(木) リトルプレスの存在意義と可能性

五千円札が切れてしまい、近くの十六銀行に両替に行くと、両替機が新しくなっていた。「両替カードをお持ちの方のみお使いいただけます」とある。窓口に「両替カードって有料なんですか」と聞くと、「毎月5,500円必要です」と。なんということ…。結局今日は郵便局で記帳ついでにお願いしてなんとか五千円札を手に入れたものの、この先が不安だ。あの両替機、まちの商店の人たちがよく並んでいたのにな…。いろいろな、時代の流れ。

 

TwitterのDMに突如、「卒業論文で、リトルプレスの存在意義と可能性について研究をしているので、ご意見をお聞きできませんか」とのメッセージが届く。「リトルプレス独自の魅力」と「SNS時代の今、リトルプレスの存在意義とは」という質問。どうにも漠然としていて、さらになんとなく求められている答えが見えるような気がしたので、敢えてその答えは外した。

「リトルプレス」という言葉も、すっかり尖った言葉ではなくなったように思う。そこに含まれるとされる印刷物も、製作主体やクオリティ、流通形態など、さまざまな点で多種多様だ。ただ、「世の中には『リトルプレス』というものがあり、いろいろな人が、いろいろな方法で『本』を作っているのだ」ということが広く認知されるようになったことで、立派な出版社からしか「本」が世に出なかった流れが変わり、「本」というものに新しい世界が広がり、またその世界から「本」を知る人も生まれたように思う。そこに、リトルプレスの存在意義と可能性のひとつがあるのではないだろうか……なんてことを思った。

f:id:tsurezuresha-diary:20200125015511j:image

きれいなパステルカラーの花餅いいな