千中会として初市だから、と太閤堂に促され、いつもより早めに名古屋へ出発。
鏡開き後の市場では善哉が振舞われることになっていて、三重のぽらんくんたちが餅を焼き、管理人さんがお椀に注いでは次々と善哉が配られていた。
市場に入りたての頃、その行事を知らずに少し遅めに市場に着いた途端、「はい!余ってるから食べてね!義務よ!」と渡された善哉の餅が、どろっどろに溶けて重湯のようになってしまっていて、汁全体が白っぽく濁り味は無く、なんともいえないシロモノだったことがあった。新人だった当時のわたしは、目をつぶって飲み干した。
その日以来、なんとなくこの日の善哉は食べられずにいる。今日は、焼き立ての餅を醤油でいただいた。
年末年始休業明けの千中会の市場。
全体の、そして当店の売上を心配していたけれど、なんとか及第点の金額になりホッとした。
千中会の会長として、自分の店のことだけでなく市場全体のことも心配しなければいけない。それは時折重荷に感じる。
(実際に会長職や、市場の出品を担当しているのは太閤堂だけれど、自分がノータッチなぶん余計に、市場が終わって結果が出るまで不安が消えない)
古書会館のあちこちに、年明けに亡くなった大先輩店主さんの訃報が貼られていた。
店にFAXも届いていたし、そのこと自体は知っていたものの、いつもその人の姿があり声が聞こえていた古書会館で、その事実を目にすると、改めて寂しさが込み上げてきた。
もう二度とあの声も、あの足音も、聞こえないんだな。
古本屋は、亡くなる間際まで古本屋なので、ついこの間市場で会ったのに、という思いばかり味わう。
そのぶん残された側の悲しみは増すけれど、最後の最後まで自分の好きな仕事と仲間と本に囲まれて過ごせるなんて、たぶん古本屋自身にとっては、幸せなことなんだろうなと思う。
自分も、そうであれたらいい。