日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

7月7日(火) 古本屋はしぶとく生きる

濁流と化した木曽川を越え、名古屋古書会館での業者市へ。われわれ千中会主催の市場はひと月ぶり。今回も受付で手指消毒して検温をする。おでこを出して、36.6度。

降り続く雨にもかかわらず換気を重視しなければならない市場の湿度はものすごく、あらゆる本は緩やかに波を打つ。入札用紙も落札伝票もぐったりしていて書きづらい。雨、暑さ、片付けの少ない時期、そしてコロナ。さまざまな要因で出品は少なめで、なかなかない速さで開封作業は終わった。

以前なら、作業前にはみんなでお弁当を食べて近況報告し、終わったらお菓子をつまみながら、なんだかんだと喋っていたものだった。ときには近くのガストに向かい、ドリンクバーで数時間粘ったりもした。基本的に古本屋は(同業同士では)話好きな人たちが多い。でも今は、それができなくなってしまった。

早々に、市場としての仕事は終わったものの、サッと帰ってしまうには名残惜しい空気が漂っていた(先月は、不安の方が大きくて、まだ自粛にも慣れていたからだろうか、みんなすぐに帰っていった)。気づけば古書会館のそこここに、なんとなく、話の輪が生まれていた。飲み食いもせず、マスクも外さず、ただただ喋り続ける。

少しずつ戻ってきた、かつてあった「日常」

どこか変わってしまったままの「日常」

新しく始めたばかりの不慣れな「日常」

日々変化するその「日常」に、頭も身体も柔軟に対応し続けなければいけない負担。

たとえ業態が違っても、同業だからこそ分かり合えることは確かにあり、大変なこと、嫌なこと、面白いこと、馬鹿なこと、あれやこれやと話すうちに、少しずつ気持ちが軽くなり、楽しくなってくるのを感じていた。

みんなそれぞれに悩み、迷い、それでも諦めたり投げやりになったりすることなく、今やれることを粛々とやっていたり、考え方を変えてみたり、その人らしい方法で、「古本屋」という生き方にしがみついているのがわかった。

最高だな!やっぱり古本屋はそうでなくっちゃな!と思った。しぶとく古本屋として生きる。

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