日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

1月8日(金) また追い駆けられている

気づいたらもう金曜だ。年末にリセットし、リスタートさせたつもりだった仕事のリズムがまた元通りになってきている。追い駆けられるんじゃなく、追い駆けたいのに。

今日は朝礼のあと、月例ミーティング。昨年末に、1年分まとめての振り返りミーティングを3日がかりでやったので、積み残しの課題は少なめで、開店時刻までに終えられる。発送の際に起こったトラブルについて、社員の2人が一緒に考えて改善策を提案してくれたのが嬉しい。少しずつ少しずつ、組織らしくなっていく。

それにしても引き続き極寒。それでも晴れてはいるので外に均一棚を出すも、見ていただくのが申し訳ない。冬場の本は芯まで冷える。新入荷の本を棚に挿していると、指先から体温がずんずん抜き取られていくように思う。ドラッグストアで「マグマ」カイロを買い、指先を温めないとキーボードが上手く打てない。

夕方、来週から来てもらうスタッフさんと面談。どんなときも、スタッフメンバーに変化が起こるときは緊張する。とにかく皆が居心地の良い職場であるように、なるべくそれぞれの好奇心が満たされるように、そして楽しく過ごせるように。いつしかそんなことばかり考えるようになった。

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1月2日(土) 中東でもアグレッシブに生きられるか

いきなり連れてこられたのは乾いた中東の都市で、言葉もわからず、とにかくきな臭いこの街でこれから生きていくには、いったいどうすればいいというのか。

立ち尽くして辺りを見回すばかりで、一歩をなかなか踏み出せない。

今朝はこんな夢で目覚めたので、これが初夢なのだとしたら、何を暗示されているというのだろう。

なんとかもうちょっと明るく楽しい未来を感じる夢を見られないものか、と、何度寝かを繰り返すも、眠りが浅いせいか、いっそう現実味のあるしんどい夢ばかりみてしまい、諦めて昼頃に起き出す。

 

余っていた千切りキャベツを使い切ろうと、小さな食パンでホットサンドを作ろうとしていると太閤堂が起き出してきたので、ふたり分つくって食べる。とろけるチーズとハムと千切りキャベツ、マヨネーズと少しのクレイジーソルト。ああ、今年はキャンプに行きたいなあと思う。

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ホットサンドメーカーで焼く餅は、トースターとは味わいが変わって美味いのを知る

 

年末は、心の余裕が一欠片もない日々の中で荒れ果てていた部屋の片付けをしながら、芸人ラジオを消化していった。

去年リアルタイムで聞ききったのは、結局、ダイアンよなよな、サンドリ、そして爆笑問題カーボーイだけだった。春頃からハライチのターンも聞くようになり、だんだんおぎやはぎのメガネびいきもしっくりくるようになった。

いろいろな変化があったオードリーとナイナイは、あんなに好きだったのに、なんだか心がついていけなくなってしまった。なにせ自分が激動の苦しい渦に巻き込まれていたので、マンネリでもいいからトーンが一定の笑い、あまり人生に向き合わなくてすむ時間を欲していることには気づいていた。

年が変わったら、昨年の分の番組をRadikoタイムフリーで聞く気持ちもなくなってしまい、今日はYouTubeで有吉の壁チャンネルを見たり、掛川花鳥園ハシビロコウ・ふたばを眺めたり、大晦日に観始めた鬼滅の刃の第4話を観たりしていた。

鬼滅の刃は時々怖くて、たしかに「16+」だなあと思う。鬼の描写も、戦い方も、無残に鬼に食われた死体も、毎回衝撃が強い。自分が小学生の頃だったら観られなかったと思う。かわいいキャラクターになる次回予告でようやくほっとできる。それでも毎回ずーんとしてしまうので、一日一話以上は観られない。

 

夕方に、来ないのか?と親からのメールがあり、夕飯だけ一緒に食べる。いつもなら弟一家が遊びに来て、甥っ子姪っ子と会えるはずの両親は、寂しいだろうと思う。寂しい思いをしている人たちが、日本中に、世界中にいる、2021年の始まり。

 

明日の仕事始めに向けて、去年つくれなかったPOPを、WORDでサッと作る。大したものじゃないけれど、無いよりはいいはずだ。

 

誰もが受け身で過ごさざるを得なかった2020年を終え、「2021年は攻める」という言葉を口にしている人に、あちこちで出会った。
そうやって気持ちを奮い立たせないと、いつの間にか下を向くしかなくなってしまうような現実が、どんどん襲いかかってきますよね。
自分を鼓舞し続ける。それしか、前を向いて進む道はない今。

 

明日から徒然舎の2021年がはじまる。
10周年を迎える年、今年はアグレッシブにいく。

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1月1日(金) 牛は平凡な大地を歩く

高村光太郎「牛」より

 

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

(略)

自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる

(略)

牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

  

来年は丑年、ということは徒然舎の年ですね!
と、旧くから当店を知る方だけでなく、入って間もないスタッフからも声をかけられることが多かった12月。
そうか、そうだな、徒然舎は「牛の古本屋」だったよな、と、息つく間もなく走り続けてきた自分にとってはなんだか遠くなってしまっていた思いが、言われるたび少しずつ蘇った。

 

高村光太郎のこの詩に出会ったのは、今の店舗に移ってきてからのことなので、高校時代から大切にしている牛のぬいぐるみをきっかけに牛好きになって、そこから「読書をする牛」を描いていただいてアイコンにした10年前の開店時には、まったく意識していなかった。

初めて読んだとき、そして折に触れて読み返すたびに、深く、沁みわたり、そして心を奮い立たされる、この詩。

思ってもみなかった事態に飲み込まれ、もがきながら、それでも必死に前に進み続けた2020年を終えて読んだとき、なんとも言えない思いと涙が込み上がってくるのを感じた。

目の前に現れる荒んだ道を、一歩、一歩、歩いていくしかなかった2020年。雲に乗りたいと思った、水の上を泳ぎたいと思った、やくざな架空の地面とわかっていてもそこで笑う人たちを羨ましいと思ってしまうこともあった。けれど、自分はそちらには行けないことには気づいていたし、心の底では行きたいと思ってはいないことも分かった。だから、自分の道を、ひたすら歩いた。その道には、信じられる仲間もついてきてくれて、ときに共に草をはみ、共に笑って休んだ。

今年もわたしは、平凡な大地を歩くだろう。空を望み、水を眺め、身軽に立ち回れる人のことはやっぱり羨んでしまうだろう。けれどもわたしは牛なので、がちり、がちりと、必然の足どりで、強情に歩き続けたい。

10月24日(土) 今年初めて、野外で本を売る

起きられるかが心配で浅い眠りのまま、6時に目覚ましが鳴る。布団からなんとか体を引き剥がし出発。8時に名古屋古書会館に着く。ぽらんくん、リープくん、読点さんと合流し、お借りする長机を運び出す。途中、太閤堂が長机を大いに倒してわたしの頭に直撃し脳味噌がぐらっと揺れるハプニングに見舞われるも、なんとか大事は免れ、会場のヒサヤオオドオリパークへ向かう。

思っていたよりこざっぱりとした公園。コロナ下、出店数が抑えられていてテントも少なく、少し寂しく見える。が、人出の増えてきた午後、すべてがちょうどよかったことがしみじみ分かることになる。

すっかりご無沙汰だったせいでボケてしまっていた出店の「勘」は、手を動かしはじめたらぐんぐん思い出されてきた。一気にざっと設営してから、微調整を続ける。ブースから離れたり、いろいろな方向から歩いてきたりして見え方を確認したり、本の積み方並べ方、ジャンルの固め方を試行錯誤したり、必要なPOPを書いたりしてゆく。時間との戦いはストレスではあるけれど、心地よい緊張感もある。今回は搬入から販売開始まで2時間もあったので、比較的納得いく形でスタートできた。

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設営を終えて座った時ようやく気づいたテレビ塔。青空と、緑と、テントと、本と。特等席だった。

 

スタートしてすぐ、7月に辞めたスタッフさんが遊びにきてくれたのには、とても驚いた。コロナ自粛を乗り切って、店が再開した途端に決まった、ご主人の転勤。半年も一緒にいなかったけれど、普通ではない日々を共に過ごした仲間として絆が深まった直後の退職は、ものすごくショックで悲しかった。いまは東濃に暮らすそんな彼女が、一人でわざわざ名古屋まで来てくれたことが、とにかく嬉しかった。

いろいろなタイミングがたまたま重なって、徒然舎という場所で出会うスタッフさんたち。常に迎える側のわれわれにとっては、チープに響いてしまうけれど、なんらかの縁、をいつも感じている。ただ、自分のこれまでのアルバイト、正社員時代を思い出すと、そんなこと思ってるのは雇う側だけだろうな…言われたら気持ち悪いだろうし、強制したらパワハラってやつだろうな…とも思ってしまう。そんなこともあり、このあたりのことは、いつも心がけて「ドライめ」に踏んでいるだけに、こうして旧職場に笑顔で会いにきてもらえたことは、思いがけない嬉しさがあった。話していたら、ちょっと、ぐっときてしまって、でも耐えた。ほんとに嬉しかった。

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イベントが近づくにつれ毎回陥る「何が売れるのか全くわからなくなるゾーン」に、久々の今回も例に漏れず嵌まってしまい、思いついたものをありったけ持ってきてみる乱暴な品揃えになったけれど、いろいろな本をいろいろな方に手に取っていただき、思い思いに楽しんでいただけているのを見ることができて、やっとホッとした。

設営レイアウトも今日でほぼ固まったので、明日はわたしは店を守ります。店もたくさん本が減っていたので、がんばって出していかないとな!

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今日、何人かの方に「日記読んでます」と言っていただき、きゅーっと恥ずかしくなり、でも嬉しくありがたく思い、けれどやっぱり恥ずかしくなってしまった。大したことが書けないもどかしさは毎日あって、店のことだけでなくそのことにもまた藻搔いてしまうけれど、「吐き出したほうがいいですよ!」とも言っていただいたので、少し力が抜けました。何はともあれ書き続けてみよう。

10月23日(金) ロウム

月末が迫り、さらに年末もじわじわ迫り、各種事務が山積してきている。今日こそは手をつけ始めないと、と思うが、まずは午前中、美殿町まちづくり委員会のミーティングに出席する。今回も、新しいMAP作りについての詳細打ち合わせ。デザインなど制作の話に進んでいくと、たいして力になれることもないのだけれど、すっかりお任せして出来上がりを待つ、というのも申し訳なく、せめてミーティングには参加しようと思う。新しいMAPは、年末年始あたり完成が目指される。

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既に開店していた店に戻ると、今日も100均棚が店内の雨シフト。昨日よりは売れますようにと願う。一息ついた後、ようやく事務に手をつける。

いま一番頭がぐわあっとなっているのは、月末の給与計算がてらやらなければならない年末調整準備。年末調整自体は税理士さんにお任せするのだが、そのための用紙記入の説明をスタッフひとりひとりにする、そのための準備がある。それぞれに、途中入社だったり、掛け持ちだったり、作品の収入があったりするスタッフたち。さらに今年は去ったスタッフたちもいるので、源泉徴収票など送る準備もある。店が店らしくなるにつれ「税務」というものをしみじみ学んだが、今年は「労務」のなんたるかをしみじみと学んでゆく年になった。

夕方、明日補充する分の100均文庫がない、ということに気づき、慌てて作業場へ。慌ただしく「あ」の1箱(赤江瀑が多かった)と「食」の箱を少し仕分けする。

その横で、明日のイベントに向け荷造りをする太閤堂。うっすら予想はしていたけれど、なんだかんだで荷物が嵩張り、他のお店の分全部を載せていく、という当初予定は無理と分かる。明日は久々のイベント。いろいろと忘れてそうで不安だ(現にスタッフのシフトを間違えてしまい夕方にはわたしだけ電車で岐阜に戻らなくてはならないことになってしまった…)。

イベントへの不安と、事務をやりきれていない焦りと、店のこと(新しい本の値付けや棚の整理や新入荷のお知らせなどなど)をきちんとできていない恥ずかしさとで、ふわふわしたまま閉店時刻となってしまったが、これでは眠れそうにないので、自作の値札シート1枚分(21冊)だけ本を値付けしてから帰ることにする。こういうときは本を触ってから帰ったほうがいい。21時までかかる。

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明日は早起きだし読めないと思うけれど、『病と障害と、傍にあった本。』を家に持ち帰る。SNSで紹介しながら、早く読みたいと思った。

心が弱り、言葉も出ず、誰にも会いたくない時こそ、本の出番のように思うのです

そんな時に足を運んでもらえる店でありたいというのが、開店当初からの思いです

10月22日(木) GOTO

やっぱり木曜はばたばたと過ぎてゆく。

文庫100均入替の日なので、スタッフに作業してもらいつつ倉庫で追加分を作っていると、もう昼に。一箱分で区切りをつけ(今回は「や」著者の箱。山本七平がたくさんあった)、いったん店に戻って、定休日に来ていたメールに対応していく。

雨が降り出す前に来てくださったpuharaさんが植木の剪定をしてくださる。秋口からポロポロと葉がこぼれて無くなってゆき悲しくなっていた一本の木について、きちんと生きてますよ、春が来れば芽吹くと思います、と言っていただけて嬉しい。もう冬眠していくので、と言われてハッとする。わたしはまだなんとなくニットを着られずにいた。

スタッフのお昼休みの間、店番に入る。木曜は、新刊書籍がまとめて届くことが多い。平凡社トランスビューから届いた本を順番に撮影し、新刊コーナーのレイアウトを変えながら、本を足し引きして並べてゆく。雨脚はだんだん強くなり、お客様の気配はない。寂しいけれど、作業はさくさくと進む。カウンター内側に積んでいた、ガラスケース行きの高額本も撮影してからガラスケースに並べる。昨日ようやく仕切り直したオンラインショップに載せてみようと思うけれど、どうなのだろう。『南氷洋捕鯨實況』とか。

4時になったので、安田屋家具店地下・カグチカへ。GOTO商店街について検討する緊急ミーティング。時間のない中だが何か考えたい、ということだったので、昨日ひねってなんとかまとめた資料も配っていただいたが、拙案はちょっとずれていた感じ。思いがけず「パブリックアート」ということについて考える機会となり、その難しさを思う。専門家のお話を聞いてみたい。

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途中退席し、店に戻りしばらくすると、彦根から半月舎さんが来てくださった。お会いしたのはいつ以来か…たぶん去年夏の京都マルイの古本市以来だから1年以上ぶりだ。遅い時間にも関わらずわざわざ立ち寄ってくださったのも嬉しくて、気づいたらものすごい勢いでおしゃべりしてしまっていた。古本屋さんと話すのは、本当に楽しい。ずっとずっと話していたくなる。

準備作業そのものは、日を追うごとに苦行に思えるようになってきてしまったけど、古本屋さんに会っておしゃべりするためには、イベントに出店するのが一番なんだよな。店をもっともっと良く育てていきたいけれど、井の中の蛙、裸の王様にはなりたくない。すごく迷っている。

閉店後、レジを締めたスタッフの驚きの声(売上が悪すぎる)を聞きつつ、斜め向かいのMITONO HAIRさんへ。昔から、髪を切ると、そこに溜まっていた分のもやもやがすっきりする気がする。

10月19日(月) 尚ちゃん

3時半の地震で目を覚ますと、太閤堂はまだ元気に映画を観ていた。二度寝では眠りも浅く、朝は久しぶりに尚ちゃんの夢を見て起きた。

尚ちゃんは、30歳の年末に肺炎で亡くなってしまった、高校の演劇部時代の友人。新卒で教員採用試験に受かり、結婚し、2人のお子さんを産み、義理の両親と同居する二世帯住宅を新築し、なにかとなんとなく停滞した暮らしをしていたその頃の自分に比べ、とにかく努力家の尚ちゃんはみるみる人生を進めていった。まさか先に人生ごと終えてしまうなんて思ってもみなかったけれど。

由布は手堅い人生を送りそうにないからさ、困ったらいつでもわたしがご飯食べさせてあげるからウチに来なよ」

料理上手な尚ちゃんは、一緒に裏方仕事の打ち合わせをしながらよくそう言っていた。「別にわたし、演劇で食べていくつもりないし、ふつうに就職すると思うよ?」と言っても、「ははは!由布には似合わないよー!」と笑っていた。大学生になり、自主公演をしようと長期休暇ごとに集まっていたときも、何かにつけてそれを言った。

東北の震災が起きたとき、テレビとTwitterの見過ぎで、無力感でぐったりしながら、尚ちゃんはこの経験をしていないんだ、と思った。わたしが古本屋になったとき、尚ちゃんは古本屋のわたしを知らないんだ、と思った。コロナ休業中も、尚ちゃんのことを考えていた。

尚ちゃんがいなくなってしまってから15年分、つらいことや悲しいこと、思い通りにいかなかったことがあったけれど、思いがけず楽しいことや幸せなこともあったよ。つべこべ言わず、生きなきゃだよね。と、また朝から思った。

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雨は上がったものの一日中薄暗くて肌寒かった。文庫棚の補充・入れ替えをしたり、作業場のストーブをつけて100均文庫の仕分けをしたり(今日開けたのはハヤカワ文庫の箱だった。映画カバーのものが多い!)、給与計算を始めたり、週末のイベント準備をしたり(当店は場違いなのではないかという思いが日に日に強くなっていて若干弱気に)するうちに終わった。売上はひとまず最低目標をクリアできてほっとする。これからまたぐんぐん寒くなっていくのだな。

夜、日曜美術館神田日勝を見る。神田日勝といえば、最近また姿を見かけなくなってしまって心配している常連yさんに教えていただいた画家だ。日勝が運ばれる救急車の中で、もし命が助かっても目は見えなくなるでしょう、と言われた妻ミサ子さんが、「あんなに絵が好きな日勝が失明して生きていくのはあまりにつらいだろう、だったらひと思いに、と思っていたんです。日勝は農家でもあるのに、すっかり忘れて」と笑った顔が目に焼き付いた。

 

…書いてきてみて、なんとなく暗い話題が多くなってしまったなあと反省。心配されてしまったらいけないなあ。偶然そうなっただけなのですよ。確かに、悲しいニュースが多い今日この頃だなとは思ってしまってますが。

ウポポイと歴博ジェンダー展と森美術館ととにかく西へ東へ美術館めぐりをしている古本屋仲間がうらやましいな。休みにはどこか行こう。