日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

10月18日(日) 「この日常」のなかで

柳ケ瀬サンビルの日は晴れることが多い。秋晴れとまではいかないものの、昨日の冷たい雨は止み、スタートの11時前から柳ケ瀬方面へ歩いてゆくお洒落なカップルやファミリー、女性グループを見かける。斜め向かいの川島さんにも開店を待つ行列ができている。今日はご来店多そうだな、と楽しみになる。毎月の貧血が今日はぐっとくる日のようで、ふと気を抜いたりすると少ししんどい。

開店作業を始めると、外で待ってくださっていたお客様がすっすっと次々に入店される。皆さん黙って本と向き合われているので、わいわいした賑やかさはないのだけれど、防犯カメラを見ると、店内にもれなくお客様がいらっしゃる状態。そんな時間が夕方遅くまで断続的にあって、ああ、そういえばコロナ前のイベントの日はこんな感じだったなあと嬉しく懐かしくなる。

先月の店頭での売り上げは去年の6割ほどで、後半は結構お客様が戻ってきてくださったような気がしたのにな…と思ってよくよく考えると、店のある美殿町商店街で「美殿町本通り」というブックイベントを開いたのが去年の9月だった。お天気にも恵まれ大盛況だったあのイベント。そういえば、名古屋古書会館でも「古本まつり」など2回の即売会があったのが今年はゼロ。そういうことなんだよな…と、思う。

春先からずっと「この日常」ありきでの働き方、本の売り方、店としての収益の上げ方を模索してきて、環境を整えたり、スタッフを増やしたり、ワークフローを試行錯誤し続けて、秋になってようやくなんとか『この道でがんばってみよう』といえる道を見つけられたように思っている。少しずつ「この日常」には慣れてきたように思うけれど、この先「この日常」もまた変わっていくのだろう。

ただ、お誘いいただいたら出店しよう!遠方のイベントにもどんどん出店しよう!せっかくならコンテナ50箱くらい本を持ち込もう!新しいイベントも企画しよう!…というあの感じが戻ってくるのだとしたら、また頭を切り替え、徒然舎という店の体制を作り直し、なにより本を仕分けして値付けして売るという大きな流れを仕切り直して、「その日常」にわたしは対応できるのだろうか。対応したいと思うのだろうか。少しずつ戻ってきたブックイベントのようすを眺めながら、そのことを最近はずっとぼんやり悩んでいる。

最終的に、今日は久々に100人以上のお客様がご来店くださった。ご来店数がきちんと数えられない感じになったのも久しぶり。ふと見つけて立ち寄ってくださったお客様が、また来てくださるように。本の整理をしようと思った時、思い出してくださるように。明日からまた地道に店を開け続けよう。やっぱりわたしは店がいちばん好きだ。

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10月17日(土) 今日の半身浴は1時間10分

冷たい雨。寒くなるらしいとは知っていたが、後から聞けば11月下旬並みの冷え込みと。それにしては薄着すぎた。半外の作業場で半日を過ごしたので、久しぶりに、身体が芯まで冷えた。

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日課である100均まつり用の文庫仕分け(今日開けた箱は中公文庫オンリーだった)の後は、来週末に迫ったイベント出店の準備。そうか、なんだか調子掴めないなと思っていたが、出店準備は今年初めてだ。世の中は変わり、徒然舎のようすも変わった。自分のイベント出店に対する気持ちも、以前とずいぶん変わっているのを感じる。

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買取本の持ち込みがあったり来客があったりして、作業場から店に時々戻ると、えっ、と一瞬思ってしまうほどしっかりお客様が来てくださっている。外はあんなに寒くて暗くて雨なのに。狭いスペースに置くしかない100均の棚も、穏やかに交代で見てくださっていて、コンスタントに売れていくのでスタッフが追加してくれている。

嬉しい、という気持ちと同じくらい、恐縮してしまう。こんな日に、駅やバス停から、あるいは有料駐車場から、この店に向かって歩いてきてくださったのだ。なにかあるかな、楽しい時間を過ごせるかな、という期待とともに。その期待にきちんと応えられているだろうか、雨の中でも来た甲斐があったと思っていただけているだろうか……。

何年経っても、この気持ちは消えない。もっともっとがんばらなきゃ、と思いながら、作業場に戻る。

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作業場で本を仕分けしていたら、藁半紙に印刷して1枚ずつ手書きしていた頃、たぶん8年前くらいの値札に遭遇した

 

お客様も途絶えた閉店前の時間、店番していたスタッフが突然「学ラン着てた猫ってなんて言うんでしたっけ」と聞いてくる。咄嗟に「なめ猫」と答えつつ、今時なかなかない会話してるよね、とみんなで笑う。フルタイムで来てくれているスタッフたちと、時に馬鹿な話を、時に本と本屋の話を、わいわい話している時間が最近とみに増えてきて、楽しい。わたし以上に黒かったり斜めだったりするふたりに、まあまあ、と言ってしまってる自分は歳をとったなあと思いつつも、悪くない気持ちになる。彼女たちに出会えて本当によかった。

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「いっつもチェックして読んでるけど、すごい疲れてないー?疲れてるの伝わってくるよー?そんな無理して書かなくていいじゃないー」

いつも若々しくてキュートな常連fさんに言われてしまう。えーと、と少し言葉に詰まり、「仕事ですし」と言ってみると、fさんのご主人も同時に同じことを言ってくださる。

最近通っているお医者さんが、比較的まめにきちんとホームページの記事を更新していて、そろそろ行こうかな、と思うとアクセスして読んでいる。今年はもちろんコロナに関する記事が多く、その内容はやはり一般人とは違う視点があって、けれどとにかく穏やかに落ち着いて書かれていて。その文章からお医者さん自身が見えてくるようで、なんとなく安心して診察に向かうことができる。

わたしの日記は果たして、お客様にとってプラスにはたらくのか、はたまた大いに逆効果なのかはわからないけれど、店番に立つ機会が減ってしまったこともあり、こんな人がやってる店なんだな、と読んでもらえたらいいかな、と思って、書いているところもある。とはいえ書けない日は書かないし、書かなくても誰にも叱られないので、仕事というにはおこがましい。

結局は、内に籠めたまま過ごすことが多い感情の発散と、半身浴の友です。

10月15日(木) いまと別の人生 / 光浦さんの言葉

久しぶりの日記。

難しいこと、悩ましいことが起きてくると、途端に日記が書けなくなる。もちろん胸のなかはパンパンで、言葉はむしろいつも以上に次々浮かんでくるのだけれど、そういうときこそ「書かないほうがいい」と思う。ひとりぼっちで独りよがりだったあの頃とは違う。書けないこと、書かないことをぐっと呑み込む。内側に向かいがちな暗い気持ちを食い止めて、なにかしら明るく外側へ向ける。経営者、というものになるためには、そういうことが必要なのかな、と、思わせられ続ける、コロナ禍。

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「もう本当に、自分の好きなことでやっていけるようにしようと思って、真剣に考えてるんですよ」悩んだり藻搔いたりしているのをずっと聞いてきた、介護の仕事を真面目に10年続けているミュージシャンの彼は言った。この秋、昇格した彼に「車、なに買うのぉ?」と職場の先輩が聞いてきたらしい。「そうか、みんな給料あがったらいい車を買うんか。そういうものなんか。と思って。」

 

旦那も子供も彼氏も無く、芸人としての仕事も減ってきて、「わかりやすく私を必要としてくれる人が側にいない」ことを自覚しているという49歳の光浦靖子さんの記事がトレンドになっていた。

光浦靖子「49歳になりまして」芸歴28年・もう一つの人生も回収したい 「文藝春秋」11月号「巻頭随筆」より - 光浦 靖子

なんでみんな続けられるんだろう。結婚もそう、出産もそう、ほとんどの同級生ができたのに、なんで私にはできないんだろう。

 いつも人の目を気にしています。みんなができることができなくて、できないことがバレるのが恥ずかしいから、「元々、人と同じは嫌いなの」風を装っていました。自由奔放に生きるなんて私から最も遠いことです。

自分の30代の頃を思い出す、苦しい言葉。わたしの場合は、たまたま古本屋という仕事に出会えたおかげで、人の目を気にしたり比べたり競ったりする人があまりいない不思議な古本屋の世界を知れたおかげで、この呪縛から逃れられたけれど、なんだかんだいって「いわゆる世の中の目」で見られ続ける芸能界は(特に女芸人という立場では)苦しいだろうな。

どんな挑戦も遅すぎることはない、ということはない、ということも十分わかっているからこそ「開き直り」と光浦さんは言うのだろう。もう、この人生では叶わないことはたくさんあるし、それを叶えている人を羨ましく思う気持ちも無くならない。けれど生きる希望はないわけじゃない。

「世界はここだけじゃない」を知ったら、どれだけ強くなれるんだろう。

自分が、いま、そこにいることを歓迎される世界、居心地よく生きられる世界、必要とされていることを感じられる世界は、どこかにあるはず。広く浅く全部に手を出そう、という光浦さんは、きっとその地を発見されるだろう。

 

去ってゆくスタッフを見送ったり、新しく迎えるスタッフを選考したりするなかで、それぞれの人生の一片に触れ、そのたびにいろいろなことを思わされる2020年。笑顔の素敵な著名人のまさかの自死を目にすることになった2020年。いろいろな人生について、ずっと思いを馳せさせられる2020年。

10月6日(火) 1,377mへ

店は定休日だが、だからこその仕事をすることが多い火曜日。今日は、とある記念館へ納品へ。

そのご依頼をいただいたのは今年の初めのことだったが、具体的に話が進み出した途端のコロナ。紆余曲折あってようやく納品の日を迎えられたことに、わたしとしてはそれなりの感慨があったのだが、その作業は呆気なくサッパリと終わり、なんとなく寂しい気持ちが残った。せめて納品したあの本たちが、なるべく多くの人の目に触れ、手に取られんことを願う。

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それなりの達成感はあったものの、もやもやとした物悲しい気持ちを抱えたまま、「納品後にまだ日が高かったら」と思っていた伊吹山ドライブウェイへ真っ直ぐ向かう。時間はたっぷりある。

約3,000円の通行料は高いか妥当か、Googleマップのクチコミは割れていたが、車一台あたり3,000円で、この別世界を味わうことができるのなら安いものだと思う。岐阜に住んで20年、横を通り過ぎることはあっても目的地になることはなかった伊吹山ドライブウェイは、特に今日のわたしにとって、行くべき場所だった。

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約17キロの道のりは、短そうに思っていたが、見下ろす風景が東(岐阜の町並み)へ西(琵琶湖)へと変わっていくので飽きることがない。そして車高の高いキャラバンで進むと、視界を遮る草木もないので、とにかく高くて怖い。怖がりすぎて疲れた頃に頂上の駐車場に着く。駐車場入口にはカメラ愛好家グループの数十台の車、そしてガードレールの向こうにはすごい望遠レンズのカメラのついた三脚と迷彩風の人々がずらりと陣取っていて、少し気味が悪い。

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せっかくまだ日も高いし、山頂まで登ってみようか、などと気楽に獣害除けのドアを開けてしまったことはすぐに後悔した。治りきらない腰痛も気になったが、それよりも日頃の運動不足で鈍った脚が、驚くほどいうことを聞かない。さすがに大量の出張買取をこなしている太閤堂はすいすいと階段を上っていくが、気持ちとは裏腹に膝が上がらなくなってくる。ちょっと歩いては座り、ちょっと歩いてはお茶を飲み。年配のご夫婦や、お子さんを抱えたファミリーが下りてくるのとすれ違いながら、どんどん情けなくなる。登ったら下らなきゃいけないんだよな…その体力も残しておかなきゃなんだよな…。ついそんなことを考えている自分が馬鹿馬鹿しくなり、遊歩道なんだからもっと無邪気に登れよ!と呆れる。

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途中で待っていてくれた太閤堂に励まされつつ、なんとか山頂に到着。「伊吹山」という木札を見つけ、ああ、これがよく山頂にあるやつか!本物だ!と思わず抱きつく。ほんの500mの登山だったわけだが、アウトドアとは全く無縁で生きていた自分にとっては、実はものすごい達成感なのだった。

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山頂のあちこちへ行き写真を撮る太閤堂を尻目に、帰り道のことで頭がいっぱいの自分。さすがに山頂は風が強く、登りにかいた汗が一気に冷え、パーカーのフードをかぶって紐を絞っても、ぐんぐん体温が奪われていくのがわかった。「ノリで富士山に登って遭難する若者」のニュースが頭をよぎり、一刻も早く下り始めなければ、と思った。

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傾きはじめた陽が照らす琵琶湖の美しさを一瞬、目に焼き付け、先に行ってるね、と太閤堂に声をかけて、一歩一歩、来た道を引き返し始める。「登りより下りが危険、って、よく聞くもんな」とにかくいちいち豆知識が頭をよぎる。面倒な自分。山頂の苔でちょっと滑った足首が少し気になりつつも、休まず駐車場に戻ることができて安堵する。

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日没の時間が近づき、目の高さより低いところにある雲がオレンジ色に光りはじめる。発情期をむかえたシカたちの声はさらに大きく、頻繁に、響き渡る。マジックアワー目当ての車が続々と到着し、西の琵琶湖側、展望台側へ集まってゆく。わ、見たい!と、慌てて走っていこうとするも、一仕事終えて一息ついていた脚はあまり言うことを聞かず、なんとかぎりぎり湖に沈む直前の太陽を数枚、写真におさめた。

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暗くなってからの帰路。確かに夜景は美しい。着陸間近の飛行機が、市街地の上空を旋回している、あのときに見えるような光の粒が眼下に広がる。ガードレールの向こうにキラリと光るものがあって、驚いて車を止めたら、こちらを見ているシカだった。そんな楽しみは嬉しいが、もちろん街灯はなくガードレールとナビの表示を頼りに山道を下りていくのは、行きとはまた違う怖さがあって、道の蛇行にあわせて身体を揺られることしかできない乗員としては、登山の疲れもあいまって、下りきったときにはかなりグロッキーな状態となってしまっていたのだった。

 

ぐにゃぐにゃな身体をさらに揺らされながら、日帰り温泉・湯華の郷に到着。そこに行くことを決めた自分を呪うような再度の山道攻撃だったが、濃尾平野を見下ろす露天風呂は確かに気持ちよくて、ぬるぬるの湯に浸かって夜風にあたると、頭の揺れもおさまっていった。29.7度の冷源泉という不思議なぬるま湯に浸かっていると、いろいろな澱が、とろとろと身体から抜けていくように思えた。ずっと動かない飛行機だなと思っていたら、最接近している火星だった。

10月4日(日)

いつでも雨が降りそうな、どんより暗い一日。100均の棚も外に出すことができず、久々に、手狭な雨天シフト。コの字型に収めるしかない100均棚はとても見づらくて申し訳ないばかりだったが、レジを締めたら今日は80冊も売れていて嬉しくなる。

外が薄暗い日の始業時は、どことなくスタッフみんな元気がない。わたしもない。けれど、いつもどおりバタバタと一日が過ぎ、お疲れさまでしたーと1階に集まる終業時には、なんだかみんな声も大きくて、にこにこしていて、今日だったらアド街の神保町特集に東京古書会館が出ててあの古本屋さんが映ってたよねとか、ツインピークスAmazonプライムで見られるようになってたから観まくってるとか、そんな話をわいわいしながらレジを締めている。そんな感じは、うれしい。

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猫がいるなんて知らずに撮っていた

10月3日(土) ここに本があるから

忙しいとき、あっという間に時間が経ったように思うことが多いけれど、今日はそれではなく、全然時が流れていかない一日だった。治りかけで治りきらない腰痛のせいか、新入荷ワゴンの本を棚にさしながら店を手入れするのも、100均まつり用に文庫をひたすら仕分けするのも、店頭買取の査定も、いちいち少ししんどい。昨日、理学療法士のGさんが来店したとき教えてもらった体操を間に挟みながら働く。

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この地に移転オープンして6年。少しずつお客様が増え、少しずつ棚の本が増え、少しずつ自分は老いた。増える一方の「やりたいこと」と、やる気と裏腹に限りのある体力とに向き合うたび、スタッフあっての徒然舎だなとつくづく思う。一緒に働いてくれるスタッフさんたちと共に作ってきたのがこの店の現在で、もう絶対に、自分ひとり、わたしと太閤堂ふたりでは、この店を動かしていくことはできない。「女子ひとり、夫婦ふたりの、ゆったりのんびりした古本屋暮らし」というイメージのところからは、気づけばずいぶん遠ざかってしまったけれど、後悔などないし、9年前に戻りたいと思うことはない。

どうしてこの地点に立っているのだろう、と、ふと考えることがしばしばあって、あれこれ考えてみるもののそのたび行き着くのは、「ここに本があるから」だよな、ということ。

本当にありがたいことに、うちを選んで本を売ってくださるお客様がいらっしゃる。数千冊、数万冊の本をまとめてお買取することもざらにあり、常に倉庫を整理していないとあっという間に溢れてしまう。それなのに、面白そうな本を市場で見掛ければ、仕入れずにはいられない。

つまりそうして、ここに本がある。次の読者に会うべきこの大量の本を、少しでも早く、確かに、世に送り出したい。いろいろな愉しみに満ちた本の面白さを、より多くの方に届けたい。誰かに読まれた本と、その本を次に読みたい人との橋渡しをすることが何よりの喜びの古本屋としては、本がここに集まってくる限り、働かずにはいられない。

自分ひとり、夫婦ふたりでできる仕事には限りがあり、けれど目の前の魅力的な本は増えてゆく一方。だからこそ、共に本とお客様に向き合ってくれるスタッフと一緒に働く道を選んだ。古本屋として自分は何歳まで働けるのか、この先の人生について考え込みそうになることもあるけれど、増えていく本とスタッフの幸せについて考えるので毎日が精一杯で、悲観的になっている余裕がないのがありがたい。

明日も尽きることのない本の山を前に、腰を伸ばしつつ、スタッフみんなであれこれ話しながら、せっせと本を手入れしよう。

本に急かされて、明日もまた働く。

朝起きたらまた少し、腰が治っていますように。

10月2日(金) 雁

12時開店に変更して2日目。開店直後から、金曜日らしからぬバタバタ。開店が1時間早まることに、頭と身体がついていけるかな、と心配していたけれど、ありがたいことに強制的に動かされる。店内にいつもお客様がいて、本が触れられていることが、とても嬉しい。本も人も風も、いつも心地よく流れる店でありたい。

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店頭で、現代短歌や詩集など、状態のよいものばかりを100冊弱まとめてお買取。書肆侃侃房など今勢いのある出版社や作家のものも多く、品揃えが薄かった当店としては大変ありがたい。精いっぱいのお支払いをさせていただく。

さっそく検品をしながら、本の中の空気を吸う作業。ぱらぱらとページを送っていると、気になる言葉には目が留まる。今日、指を止めたのはマーサ・ナカムラだった。どちらかといえば不穏な、心地よくはない言葉なのだけど、きちんと読みたいと思わされる。詳しくは知らない作家だったので何気なくWikipediaを見ると、「転機は蜂飼耳の授業を受けたこと」とあり、腑に落ちる。

 

毎日来られるのが当たり前のYさんは、猛暑のあいだ2か月以上まったく音沙汰がなく、同じように通われているご近所のお店のご主人に消息を尋ねたりもしたが、先週ひょっこりと顔を出され、それ以来また毎日、来店されている。今日は2回来られた。自転車を漕ぐ音が軽快で安心した。われわれを質問攻めにするトーンも、いつも通りになってきた。

ラジオで今、森鴎外の「雁」が朗読されているのだけれど、なぜタイトルが「雁」なのかがさっぱりわからない、と先日からおっしゃる。どこがいいのか全然わからないから教えてくださいよ、とも。

そういえば読んだことはないな、と思い、あらすじなどを読んでみる。いろいろ読むうち、確かになぜ今「雁」が朗読されているのだろう、どんな意図で作品が選ばれたのだろう、と、考え出してしまう。その物語のどこかに、いま読まれるべきものがあると思われたのかな。なんだか胸に引っかかりだしてしまう。