日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

6月30日(金)

ようやく少し、出口が見えてきた。

日記が書けなくなった日に、ガクッと、お肌の曲がり角ならぬ女の曲がり角がやってきて、あらゆる調子が悪くなった。びっくりした。なんともならない調子の悪さが次々と襲ってくる。なんだこれは。

どん底で寝そべる、わけにもいかず、騙し騙し、なだめすかして、日々乗り切っていきながら、なんとか生き延びる方法を探り、今やれる限りの手段を講じて自分のご機嫌をとった。

ようやく今朝、あ、今日はなんとかなりそう、と、目を開けたときに思った。

 

下世話なゴシップのおかげで、小山田圭吾の新譜が出ているのを知った。サブスクリプションで何気なく聴いていたら、アルバム最後の曲、「無常の世界」がぐっと沁みた。

生きていくこと、年を重ねていくこと、すべての物事とともに年月の船に乗っていくことは、なんだか悲しいことが多すぎる。得るものよりも失っていくものの多い日々になってゆく。人生とはそういうものであることを、頭ではわかっていたものの、50歳を前にして、まずは自分の体が壊れていくことに直面して、人は誰しもそこから逃れられないのだなと思わされる。その悲しみに耐えられるよう、頭がぼんやりしていったり、周りが見えなくなっていったりするのだな、と思える。

自分に子どもがいたら、これから輝く時間が与えられているその存在があったら、明るい希望を持ち続けられたのだろうか、と思ったりもする。けれどそれは無いものねだり、隣の芝生、言い訳なのだろうなということもわかる。こういう思考の者は、いつだってこういう思考なんだろう。

自分の機嫌を自分で取る。使い古された女性誌の見出しのようなことが今の自分には必要なのだ、という自覚が芽生えた2023年6月が終わった。

f:id:tsurezuresha-diary:20230701012500j:image