日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

6月15日(水)

4泊6日のかつてないスケジュールでのイベント出店に挑んだあたりから、心身ともに余裕なく、SNS的なものから遠ざかっていた。

日常に戻り、呼吸も落ち着いた頃に何気なく、またつらつらとタイムラインを眺めだしてみたら、耐性がなくなってしまったのか、独特の空気感にやられてしまうようになった。Twitterを見れば日本は終わってるように思えるし、Instagramを見れば自分はすっかり取り残されているように思える。

付き合い方のわからないウイルスのある世界に生きるというだけでもしんどいというのに、もう2年以上、その世界で必死に働き生き延びてきたというのに、戦争などという人間の醜い本質が剥き出しになる悲劇まで日々目の当たりにすることになり、そんななかで、なんとなく身近に思っていたお笑い芸人の死が連日その人懐っこい笑顔とともに伝えられるようになってから、すっかり気が滅入るようになってしまった。

気が弱ると、いつも聴いていた芸人ラジオも、聴けるもの聴けないものが出てくる。(相変わらず、ダイアンはちょうどいい。)Audibleに手を出し、いろいろ試し聴いた結果、宮本常一「忘れられた日本人」は面白く聴き終えたが、なかなか次の「これ」というものに出会えない。起伏の激しい映像もしんどく、猫のライブカメラばかり見ている。

それでも情けないことに、手癖のようにSNSを見てしまうので、どうせなら日記をまた書くようにすれば時間を使うのではと思い、先週から書き始めたのだけれど、書き終える前に意識が飛んで寝てしまうのでした。

 

無為に過ごした休日の今日、夕方に重い身体を起こして駅前に行き、腕時計の電池交換をした。止まってしまった時がまた動き出した。

地に着いている足を見て、持っているものの重さを感じて、また明日から一歩ずつ歩くのみ。

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