日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

10月17日(月) まちのなかで

ちょうど去年と同じ時期に助っ人をお願いした前スタッフさんが、11時半に来てくれた。久しぶりの再会にスタッフも嬉しそうで、もちろんわたしも嬉しい。とにかくユーモアのある方なので、少し言葉を交わすだけでも楽しくなれる。

遠方から駆けつけてくれたお礼にせめてお昼でも、と、町内のフィールドさんに行ってみると、暖簾が出ておらずお休みのよう。定休日ではないはずで、美殿町本通りのチラシもお願いしたかった。ちょっと心配になりながら来た道を戻り、なお支店で味噌煮込みうどんにする。久しぶりに食べたけれど、これからの季節にはやっぱり沁みる。

先日、東京で出張買取した際の査定額を伝えるFAXを書く。耳でのやりとりが少し心配とのことで、電話ではなくFAXを希望されたお客様はいつも、とても丁寧な字で手書きされたFAXを送ってくださるので、こちらも手書きでお返しした方が、と思うものの太閤堂に書かせるわけにはいかず(全スタッフが賛同)、わたしが書くことに。とにかく丁寧に、大きな文字でA42枚を書き、けっこう疲れる。

美殿町本通り」の出店ブースの配置を考え、エクセルでマップをつくる。今回初めて、出店者さんの出店位置と、商店街の店舗を紹介するマップをつくることになったので、それなりに実寸に近い配置を把握する必要がある。昨日のイベントお疲れ様でした、と商店街理事長に連絡すると、「ハロウィン、秋祭り、本通りと、休む暇なく続きます」とお疲れ気味なお返事。

あとはひたすら仕分けと値付け。これぞ古本屋の仕事なので、まったく苦ではないけれど、後に迫るイベントのプレッシャーには怯え続けている。

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まちに暮らし、まちに根ざした店でありたいと思って、ここでずっとがんばってきた。できるだけ善良で優良なプレーヤーになれたらいな、という思いだった。ひとりで立つことすら難しいところからのスタートだった自分には、それが精一杯だった。

このまちは、わたしだけのものではないし、ほかの誰かだけのものでもない。いろんな人が、いろんな価値観で、同じくらいの声量でそれぞれに話しながら暮らしていくのが、それぞれにとっていちばん心地いいはず。我慢はしたくないし、わがままに振る舞いたいわけでもない。まちでイベントを開催することで、まちを私物化していると思われたくないし、そう見られてしまったのかと落ち込んだりもした。

自分にとって「まち」とはなにか。簡単に答えが出ないくらいには、考えることがある。いっそ閉じてしまえば楽なのかもしれない。ただ、古本屋なんて今の時代じゃ万人受けしない偏屈な商売かもしれないけれど、多少はまちに貢献できているという自負はある。その一員であるはずの「まち」というものとの距離感の難しさに、イベントシーズンになるととくに煩悶してしまう。