日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

8月13日(土) コロナでも前に進む、後ろめたさ

久しぶりの店。スタッフもみんなひとまず健康に出勤してくれている。台風を心配していたけれど、嬉しい肩透かしで開店時刻には青空だった。暑い。

休み中にいただいた通販の注文がやはり大量になってしまい、発送が大変そうなため、午後の店番にはわたしが入る。ありがたいことにお客様が続き、レジを打ちながら、ぼんやりしていた頭がシャキッとしてくる。

通販の注文を確認すると、高額なものやセットものが多い。これはまたも去年や一昨年のように「お盆にお出かけするのをやめた代わり」なのだろうか、と思わずにはいられない。売れたことは嬉しいのだけれど、複雑な思いが澱む。

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秋のイベントについてのメールやメッセージを断続的にさまざまな方に送る。お盆休み中も少しずつ進めていたけれど、進めば進んだだけさらにやりとりが必要になることもあり、終わりは見えない。

自信をなくしたり、取り戻したり、不安になったり、楽しみになったり、気持ちを浮き沈みさせながらの、イベント主催。ようやく、差し伸べてもらえる温かい手がいくつか見えてきて、なんとか前に進めるぞ、と思えてきたときには、コロナ感染者が過去最高を突破する世の中になっていた。

で、このコロナについては、どうしたらいいというのか。

それを理由に立ち止まったり、制限されたりする季節は終わったようで、今やさしてなにも言う人はない。というか、言ってもらえないので、やるしかなくなった。

さらに、それぞれの事情もあり、あちこちでイベントが開催される状況になったため、お客様からも出店者からも選んでもらえるだけのものをつくらなければならないというプレッシャーは増していく一方になった。

よし、では、がんばって盛り上げよう、面白いイベントにしよう……と思い企画を練っている隣から、「いや、でも、こんなに感染者いるのに、やるの?」と、声が、声なき声が、聞こえてくるのだ。

ステイホームを合言葉にできた、苦しくも温かかった春は終わり、今は、それぞれの胸の内にそれぞれの価値観が芽生え、その感覚の隔たりは増す一方のように感じる。

多くの人に楽しんでもらいたいイベントを開催するにあたって、自分の立ち位置は、どこに置くのか。人によって異なる感覚の渦の、どのあたりに自分は立つのか。立つべきなのか。

今の自分にはまだ、それに確かな答えが出せず、そのせいで、とても苦しい。コロナ軽視とも思われたくないし、イベントを楽しみにしている人の気持ちにも応えたい。やるからには自分も楽しいことをしたい。そして科学的にきちんと恐れる態度は保ちたい。

店売り、イベント、通販。ここ数ヶ月、その割合がまた揺らぎ始め、経営のバランスを取るのがまた難しくなってきている。もちろん切実に、売上は必要であり、その点については迷いなく、前に進むしかないのだ。立ち止まって、良いことなど何もないから。

けれど、どうしても、後ろめたい。コロナ禍なので、と、すべて停止できていた頃、それが認められていた頃が、懐かしい。今はもう、進まなくてはいけない。視点によっては、理解を得られないとしても、なにかしら妥協点を見つけ出して、とにかく前に進むしかないところにいる。

この苦しみから、はやく脱したい。コロナが憎い。