日日古本屋

岐阜の古書店・徒然舎店主の日乗です

5月22日(金) 「ニューノーマル」

溜まり続けていた気持ちをようやく言葉にできた木曜の未明。少し寝て起きて、よし、今日から、再開への道を進もう、と気持ちが整った。と思った途端、やらなくてはならないことが一気に見えてきて、くらくらした。

店を開けられる喜びと、どうやって営業していったらいいのかという不安や迷いとを比べると、正直なところ、今は後者の方が大きい。けれど、行きつけのリラクゼーションや、行きたかったキャンプ場が再開した報せにものすごく喜んだ自分がいて、同じように徒然舎の再開を待ってくれているお客様がいらっしゃるのかもしれないと思えば、とにかく再開するためにがんばれよ!がんばるしかないだろう!と、思う。

 

物理的な準備は、少しずつではあるものの進んでいる。このご時世、通販にもタイムラグがあり、欠品・入荷未定のものも多いため、欲しいものが思うようには手に入らない。そんななかやっと、手指消毒用の代用77%アルコール(酒)、それを入れる自動ディスペンサー、店内人数制限用のレジかご、そしてレジ周りのパーテーションまでは準備できた。棚の移動も進め、レジ横に持込買取用のテーブルも設置した。

とにかく、なにをどこまで対策したら大丈夫なのかがまったく分からない中での準備。それでも、少しずつ様相を変えていく店内に、わたしは、前に進めていると思える安心感と達成感を感じていた。

レジ周りのパーテーションが完成したことに気づいたスタッフさんが何気なく「物々しいですね…」「すごく変わるんですね」と、驚いて言った。その声に、少し、引いてしまっているようなニュアンスがあることに気づく。ああ、そうか。そうだよな。お客様の中にもそういう反応をされる方は、きっといらっしゃるだろう。安心して店を開けるための準備は、もしかしたら、必要以上に過剰で、拒絶的にさえ見えるのかもしれないのだ。

デザイン専門学校に通うスタッフさんが、「学校で、これからの『ニューノーマル』について書け、っていうレポート課題が出たんです」と話していた。バリケードに開けられた銃を打つための穴のような狭いお渡し口から本を渡すことは、けっして無礼ではなく「ニューノーマル」なのだと、果たして、幅広い世代が受け入れてくれるようになるのだろうか。

仕事終わりに立ち寄ったスーパーで、新商品の冷凍麻婆丼が気になり手に取ると、激辛のため苦手な方は食べないでください、と注意書きがあり、ああ残念と冷凍庫に戻した。その瞬間、背後から大声で「触ったものを戻すな!おい!お前!」と年配男性に怒鳴られた。「ニューノーマル」の暮らしの中で、いつか、もしかしたら、時や言葉の流れ方次第で、誰が触ったか分からないものを売る中古販売業すべてが悪とされてしまうことさえ起こりかねないのでは、と、思うことも、ある。

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